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zoom RSS 三成の実像2321 「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」11 谷徹也氏「総論」11 秀次事件

<<   作成日時 : 2018/07/04 10:57   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の、谷氏の「総論 石田三成論」のうち、 「豊臣政権における石田三成」の中で、秀次事件についても触れられていますが、矢部健太郎氏の「秀吉には秀次を切腹させる意図はなく、秀次が自らの身の潔白を示すために自刃したのだとする」見解が紹介され、その見解を裏付ける史料が取り上げられています。
 矢部氏の見解は、文禄4年7月12日付の、秀次が高野山で過ごす心得を記した「高野住山令」に基づくものですが、谷氏が取り上げられている史料は、木食上人・高野山惣中に宛てた長束正家・富田水西・増田長盛・石田三成・前田玄以・宮部継潤は矢部氏のの連署状であり、その書状について次のように解説されています。
 「年月日こそないものの、『秀次様御住山』との文言から、秀次事件時のものと判明する。この史料は藤堂家に伝来したものであるが、藤堂高虎は秀次が高野山に向かう際に付き添いをしており、事件の当事者の一人といえる。
 文中に見える『御朱印』は、内容から『高野住山令』を指すものと考えられ、『高野住山令』は矢部氏の推測通り秀吉朱印状であったことが裏付けられる。また、本文書には秀次に対して切腹を命じたとする内容は書かれておらず、福原長堯の派遣理由も切腹の見届けではなく、御目付の小姓衆の監督のためと記されている。また、連署者は事件の後処理にあたった6名であり、実際に発給された文書として見て問題ない」と。
 一方、7月13日付の「秀次切腹命令」は、矢部氏によって偽作だとされていますが、谷氏も上記の史料と「比較すると署名者も異なり、文体や内容も相違が甚だしいため、この前後に出された文書とは考えにく」いことから、それに賛同されています。
 また谷氏の同書では、秀次事件の前後に出された血判起請文についての矢部氏の新たな見解についても紹介されています。この見解については、以前拙ブログ記事でも取り上げたことがありますが、次のようなものです。
 「蔵米算用に関する文禄4年8月3日付の玄以・増田・長束の連署起請文は翌年5月以降に遡及して作成されたことが解明され、文禄4年7月12日付と文禄5年正月23日付の奉行の連署起請文が長大な神文を持つ点についても、三成の関与が想定されている」と。
 これらの見解は、「註」にも掲載されていますが、「秀次事件と血判起請文・『掟書』の諸問題ー石田三成・増田長盛連署血判起請文を素材として」(『消された秀吉の真実』所載)、「前田玄以の呼称と血判起請文ー『民部卿訪印』から『徳善院僧正』へ」(『豊臣政権の正体』所載)で示されています。 
 

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