石田三成の実像2961 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」3 東美濃への侵…

白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。  「小笠原長巨(ながなお)を、そちら(=木曽谷)への加勢として人数(=軍勢)を遣わした」と現代語訳されてい…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策1 レトロな電停の雰囲気も校舎の様子もあまり変化なし・赴任する前に校長・教…

  大阪府立住吉高校の周辺を20数年ぶりに散策してきました。天王寺から阪堺電車に乗り、北畠駅に降り立った時から、周囲の様子は当時とあまり変わっていなかったため、時が戻ったようで、懐かしさに駆られました。レトロな電停の雰囲気と云い、そのすぐそばの道を西に入ってゆくと、すぐ左側に校門や校舎が見えるところと云い、道の右側にテニスコートが二面並…
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石田三成の実像2960 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」25 本間宏氏「上杉景勝の戦い」5 会津征討直前の上…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長5年の会津攻めのきっかけとなった、いわゆる「直江状」と、6月10日付の上杉景勝書状の内容が酷似していることが指摘されていることは前述しましたが、この書状についての解説の続きです。  「重臣に宛てた景勝のこの書状は、家中の結束を求めるものであった…
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奈良探訪 美術探訪 松柏美術館「上村松園・松篁・淳之展」2・松園の「花がたみ」・松篁、淳之の鳥小屋・旧佐伯邸

 松柏美術館に展示されていた、上村松園の「花がたみ」は、一番インパクトがありました。謡曲「花がたみ」に基づいた日本画で、継体天皇を愛するあまり精神を病んでしまった照日の前の姿を描いていますが、虚ろな目の表情がなんとも鬼気迫っていました。松園はこの絵を描くために、精神病院に泊まり込み患者の様子を観察しましたから、この絵に対する気迫や執念み…
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石田三成の実像2959 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方の藤堂高清の指揮下で戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についての解説の続きです。  「藤堂高清は大坂夏の陣の時に、…
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奈良探訪 美術探訪 松柏美術館「上村松園・松篁・淳之展」1・松園の「楊貴妃」 古典文学探訪 白居易の詩「長恨歌」 

 夫婦で奈良・学園前にある松柏美術館に初めて行きました。大淵池に面したところに建っているこぢんまりとした瀟洒な美術館で、現在「上村松園・松篁・淳之展 魂の継承~受け継がれる魂~」が開催中です。上村家三代の作品が展示されており、それぞれ描く対象も画風も違っていますが、その姿勢や作家精神、底流にあるものなどは共通しているように感じました。「…
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石田三成の実像2958 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」2 東美濃への侵攻

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。  「5月中には遠山友政はそちら(=木曽谷)へ行く予定である」と現代語訳されている部分について、次のように指摘さ…
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音楽探訪48 2005年に放送された中島みゆきさんのトーク2 紅白出場を決めた理由・黒部ダムで歌う大変さ・歌詞を間…

 2005年にNHKーFMで放送された、中島みゆきさんをゲストに迎えた「サウンド・ミュージック」ですが、2002年に紅白歌合戦に初出場した時のことも語られていました。NHKから出演依頼を受けた時、それを受諾したことについて、「地上の星」が大ヒットしたのは、「プロジェクトX」の番組のおかげだと思ったからですが、中島さんが一つ注文を付けたの…
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石田三成の実像2957 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」24 本間宏氏「上杉景勝の戦い」4 直江状をめぐって

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長5年の会津攻めのきっかけとなったとされる.、いわゆる「直江状」の存在について、肯定的な見解が示され、次のように記されています。  「相国寺の日記『鹿苑日録』をみる限り、西笑承兌と直江兼続との間で書状が交換されていたのは確実である。また、『直江状…
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音楽探訪47 2005年に放送された中島みゆきさんのトーク・他の歌手への曲提供・槇原敬之さんの「ファイト」・「地上…

 2005年にNHKーFMで放送された、中島みゆきさんをゲストに迎えた「サウンド・ミュージック」の録音を聴き直しましたが、いろいろな歌手に提供した曲と、自分が歌う曲の違いについて問われた時、歌うのが難しい曲は他の歌手に歌ってもらい、やさしいものを自分で歌うと答えていました。むろん、これは半分冗談だと思いますが、桜田淳子さんに曲を提供した…
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石田三成の実像2956 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」1 反家…

 白峰旬氏よりご恵贈賜りましたご論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されています。  まず「上方(=豊臣公儀方)の石田三成・大谷吉継・石川光吉(尾張国犬山城主)の書状を(山村良勝・千村良重の…
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大阪探訪46 備前島があったあたりを散策5 大坂冬の陣では徳川方が大砲を放つ・リニューアル工事中の藤田美術館・「曜…

備前島は、大坂冬の陣の際、徳川方が大砲を据えて、大坂城に砲撃を加えたところです。砲撃は四日間にわたって行われ、そのうちの一発が城の一部を破壊し、淀殿の侍女七、八人が亡くなりました。豊臣側はこれに恐れをなして、和平に応じました。豊臣政権を支えた宇喜多秀家や石田三成の屋敷があった備前島(大坂城の北の守りを固めていました)から、徳川方が豊臣家…
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大阪探訪45 備前島があったあたりを散策4 大阪市立桜宮小学校の「創立80周年記念誌」に400年前の備前島の地図・…

 大阪市立桜宮小学校が昭和61年に発行した「創立80周年記念誌 わたしたちの町 桜宮」の中に、今から約400年前の都島区の地図が掲載されていますが、三角形のような形をした備前島が載っています。すぐ北に野田村があり、備前島に行くには、南から京橋、備前島橋を渡って行くか、東側から野田橋を渡るか、西側から川崎の渡しを舟で渡る方法があったようで…
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石田三成の実像2955 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」4 …

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、拙ブログで前述した四つの疑問点を挙げた上で、「福島氏系譜」所収の慶長5年7月19日付の「福島正則宛家康書状」について、次のような解釈が可能だとされています。  「7月19日、徳川家康は上方…
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石田三成の実像2954 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についてまず次のように解説されています。  「本城惣右衛門は、藤堂高清(『…
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大阪探訪44 備前島があったあたりを散策3  今はレストランと結婚式場になっている旧大阪市公館 付記・大阪都構想雑感

 藤田邸の西邸だった旧大阪市公館は、最初は迎賓館、大阪市長公館として建てられましたが、橋下市長の時代に、民間に貸与され、今はレストランと結婚式場になっています。チャペルの中ものぞいてきました。ちょうど、若いカップルが下見に来ていました。コロナ禍で結婚式も挙げるのが大変な状況になっていますが、めげずに新たな門出を飾ってほしいものだと感じま…
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石田三成の実像2953 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」4 …

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、白峰氏と本多氏の小山評定に関する議論について、高橋氏は疑問点を4点挙げられていますが、その3点目として「福島正則はどこで家康書状を受け取ったのか」という点が挙げられています。  白峰氏は「…
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大阪探訪43 備前島があったあたりを散策2 宇喜多秀家の屋敷があったことにちなんでいると思われる備前島・旧藤田邸跡…

大阪市都島区網島町あたりに、かつてあった備前島の名前の由来は、秀吉の時代に宇喜多秀家の屋敷があったことにちなんでいるものと思われます。宇喜多秀家は備前宰相と呼ばれていました。秀家は京都にも屋敷を持っていましたが、そのあたりは現在、備前町という名前になっています。   網島町にある旧藤田邸跡公園のあたりもかつては備前島の一部だったと考え…
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石田三成の実像2952 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」3 …

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、小山評定の有無をめぐっての本多氏と白峰旬氏との議論について、主要な論点は二つにしぼられていると記されています。  一つ目の論点は、拙ブログで前述しましたが、もう一つの論点は、小山評定があっ…
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大阪探訪42 備前島があったあたりを散策1 宇喜多秀家、石田三成の屋敷があった地・旧藤田邸跡・親友が結婚式を挙行し…

 京阪電車で京橋へ出て、高架下を西に向かって歩き、太閤園、藤田邸跡公園、旧大阪市公館を経て、大川沿いを歩き川崎橋あたりまで行ってきました。このあたりには、かつて大川の中州であった備前島がありました(現 都島区網島町)。秀吉の時代には、備前島には、宇喜多秀家や石田三成の屋敷がありましたが、地形も変わっており、中州もなくなり、具体的にどこに…
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