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関ヶ原の残党、石田世一の文学館
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旅行記163 三成の実像2641 壱岐対馬を経て韓国へ22 碧蹄館の戦いの跡碑・仁川から帰国
旅行記163 三成の実像2641 壱岐対馬を経て韓国へ22 碧蹄館の戦いの跡碑・仁川から帰国  5月2日、ソウル郊外の幸州山城跡に行った後、昼食を取り、碧蹄館の跡地と碧蹄館の戦いの跡碑を訪ねました。ここも17年前にも訪ねていますが、最初、碧蹄館の跡地がなかなかわからず、車で少しうろうろしました。碧蹄館は中国使節の宿泊地だったところで、以前はその跡地の中に入れましたが、今は柵があり、中に立ち入ることができません。今は礎石などが残っているだけですが。公園のすぐそばにあり、敷地も狭く、すぐにわからなかったのも無理ないところです。  碧蹄館の戦いの跡碑は、碧蹄館跡地から車で五分余り離れた場所に... ...続きを見る

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2019/05/26 10:51
旅行記162 三成の実像2640 壱岐対馬を経て韓国へ21 朝鮮側が勝利した幸州山城の戦い
旅行記162 三成の実像2640 壱岐対馬を経て韓国へ21 朝鮮側が勝利した幸州山城の戦い  5月2日、景福宮を見学した後、ソウル郊外の幸州山城に行きました。ここは17年前にも訪ねましたが、一段と整備され、花などもきれいに咲いていました。幸州山城は文禄の役の際、明・朝鮮側が勝ったところで、三大戦捷地の一つです。勝利した権慄将軍の像が建ち、救国の英雄として「忠荘祠」に祀られています。山頂には高い大捷碑が建って、威容を誇っていますが、50年程前に建てられたものです(上の写真) 。 。幸州山城には、もう一つ幸州大捷碑が建っていますが、権慄が亡くなった後、部下たちが4百年余り前に建てたもので... ...続きを見る

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2019/05/25 09:54
旅行記161 三成の実像2639 壱岐対馬を経て韓国へ20 三成が来た時には焼けていた景福宮
旅行記161 三成の実像2639 壱岐対馬を経て韓国へ20 三成が来た時には焼けていた景福宮   釜山の倭城めぐり2日目、釜山子城台跡、釜山母城跡、北東の西生浦倭城跡、蔚山倭城へ行った後、蔚山駅から今度は韓国高速鉄道(KTX)でソウルに向かいました。所要時間は2時間20分でした。そこから地下鉄に乗り換え、東大門にあるホテルに着いたのは8時半でした。夕食は駅で買った巻き寿司を車内で食べて済ませました。もっとも、ホテルに着いて荷物を置いてから、ロビーで生マッコリ一瓶を三人で飲みました。今回の旅行で、マッコリを飲むのは最初で最後でした。口当たりがよく、疲れも吹っ飛ぶ思いがしました。  次の日... ...続きを見る

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2019/05/24 12:02
旅行記160 三成の実像2638 壱岐対馬を経て韓国へ19 籠城戦が行われた蔚山城
旅行記160 三成の実像2638 壱岐対馬を経て韓国へ19 籠城戦が行われた蔚山城   山の倭城めぐり2日目は、釜山子城台跡、釜山母城跡、北東の西生浦倭城跡を訪ねた後、さにらその北東にある蔚山倭城へ行きました。  蔚山倭城も、公園になっていますが、本丸、二の丸跡などが残っており、ところどころに石垣もあり、当時の雰囲気がわずかにしのべます。ここは慶長の役の際、熾烈な籠城戦が行われた場所ですが、今は公園だけに、穏やかな平和な雰囲気が漂っていました。籠城戦について、熊本日日新聞社編「加藤清正の生涯」には、次のように記されています。  「明・朝鮮連合軍は、日本軍が城郭整備に勢力を注... ...続きを見る

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2019/05/23 10:57
旅行記159 三成の実像2637 壱岐対馬を経て韓国へ18 加藤清正が築いた西生浦倭城
旅行記159 三成の実像2637 壱岐対馬を経て韓国へ18 加藤清正が築いた西生浦倭城   釜山の倭城めぐり2日目は、釜山子城台跡、釜山母城跡をめぐった後、石焼ビビンバで昼食を取り、釜山の北東の西生浦倭城跡へ行きました。  西生浦倭城は、17年前に訪れていますが、西の熊川倭城と並んで、大規模な城跡です。築城したのは、加藤清正です。前回と違って、整備が随分進んでいるという印象を受けました。パンフレットを入口の案内所でもらいましたし、各所には説明掲示板が建っており、石垣の修復も行われていました。韓国の人々もたくさん登っていました。大手口、虎口、曲輪、本丸、天守台、馬出し曲輪などいろい... ...続きを見る

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2019/05/22 17:44
フランス文学探訪102  フローベル「ボヴァリ−夫人」3  結婚生活に失望・男と女の意識のずれ 
 ヒロインのエンマが結婚生活に失望するまで時間はかかりませんでした。夫はなんでも知っており、情熱の力や生活の技巧など、いろいろと教えてくれる存在だと彼女は信じていたのに、夫のシャルルはそういう理想とは全く違う人物だったからです。話は平凡だし、演劇にも行かず、剣も銃も扱えず、馬術も水泳もできず、がっかりさせられてばかりでした。しかし、シャルルの方は、美貌の妻を得て、大満足していたのです。幸福な夫の姿を見て、エンマは余計彼のことが恨めしくなります。  このシャルルのような夫は極端としても、男と女... ...続きを見る

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2019/05/21 23:22
旅行記158 三成の実像2636 壱岐対馬を経て韓国へ17 毛利輝元が築城した釜山倭城(母城)
旅行記158 三成の実像2636 壱岐対馬を経て韓国へ17 毛利輝元が築城した釜山倭城(母城)   5月1日の釜山西方の倭城めぐりは、釜山駅の東に位置する釜山子城台倭城に訪ねた後、すぐ近くにある釜山倭城(母城)へ行きました。ここは今は体育公園になっており、テニスコートもありますし、やはり健康器具などもあります。しかし、周囲のところどころに石垣などが数多く残っています。毛利輝元が築城した倭城です。ここも今回、初めて訪ねました。釜山子城台倭城や市内を一望できるスポットにも、倭城ガイドの植本友里さんに案内してもらいました。  毛利輝元は渡海する時、七番隊を務め、三万人の軍勢を率いていました。... ...続きを見る

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2019/05/21 10:50
旅行記157 三成の実像2635 壱岐対馬を経て韓国へ16 釜山子城台倭城
旅行記157 三成の実像2635 壱岐対馬を経て韓国へ16 釜山子城台倭城  令和最初の日の5月1日の釜山西方の倭城めぐりは、最初に釜山駅の東に位置する釜山子城台倭城に行きました。今は公園化されていますが、周囲に石垣などが数多く残っています。市民憩いの場所になっており、ウォーキングする人、健康器具を使っている人もいました。  山頂(丘の上)が本丸跡ですが、それをしのぶものはなく、鎮南台などが建っており(上の写真)、そのそばに、「釜山鎮支城」の説明掲示板があり、次のように記されています。  「子城台(ジャソンデ)とも呼ぶ。  現在残っている城跡は1593(宣祖26)... ...続きを見る

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2019/05/20 10:50
フランス文学探訪101 フローベル「ボヴァリ−夫人」2 最初は年上の女性と結婚するボヴァリー 
 「ボヴァリ−夫人」という題が付いているものの、主人公は夫のシャルル・ボヴァリ−であり、彼の学校時代の描写からこの小説は始まります。転入生として教室に入ったものの、へまをしでかしてみんなの嘲笑を買うというみじめな姿が、まず描かれます。肝心のボヴァリ−夫人がなかなか登場しないという不満を昔は覚えたという記憶がありますが、お人よしで他人のことがよく見えないという欠点があったため、後に夫人のエンマに不倫を働かれても気づかなかったというストーリーの大事な伏線になっており、そういう意味でなおざりにはできな... ...続きを見る

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2019/05/19 18:26
旅行記156 三成の実像2634 壱岐対馬を経て韓国へ15 サムギョプサル・釜山の東の倭城めぐり
旅行記156 三成の実像2634 壱岐対馬を経て韓国へ15 サムギョプサル・釜山の東の倭城めぐり   4月30日の釜山西方の倭城めぐりを終えた後、5時に一旦ホテルに戻り、入浴して汗を流した後、6時にロビーに再集合し、倭城ガイドの植本有里さんの案内で、南浦洞の店に行き、サムギョプサルを食べました(上の写真)。釜山駅から地下鉄で二駅です。切符の自動販売機には、日本語表示ボタンがあって、それを押すと、ハングル文字表示が漢字表示に変わります。もっとも、街中にはハングル文字の看板や表示が多く、英語はところどころで見られるものの、漢字や日本語の表示は17年前に比べて随分減ったという印象を持ちました... ...続きを見る

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2019/05/19 10:33
旅行記155 三成の実像2633 壱岐対馬を経て韓国へ14 島津氏が使用していた旧永登城
旅行記155 三成の実像2633 壱岐対馬を経て韓国へ14 島津氏が使用していた旧永登城   4月30日の釜山西方の倭城めぐりですが、巨済島にある長門浦倭城を訪ねた後、やはり巨済島にある旧永登城跡へ行きました。島津義弘・忠恒親子が築いた永登浦倭城の山裾にあります。永登浦倭城まで登りたかったのですが、時間的に 無理だったので、旧永登城跡を訪ねたのを最後に、釜山のホテルまで引き返しました。旧永登城は、朝鮮側が築いた城ですが、文禄・慶長の役では、日本側が占領して、使用していました。このことについて、織豊期城郭研究会編「倭城を歩く」(サンライズ出版)の「永登浦城」の説明の中で、次のように記さ... ...続きを見る

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2019/05/18 11:03
旅行記154 三成の実像2632 壱岐対馬を経て韓国へ13 長門浦倭城の独立した曲輪群
旅行記154 三成の実像2632 壱岐対馬を経て韓国へ13 長門浦倭城の独立した曲輪群   4月30日、釜山西方の倭城めぐりをしましたが、熊川倭城のあと、途中で倭城ガイドの植本友里さんお勧めの店で韓国冷麺を食べてから(日本人観光客はほとんど来ない店で、落ち着いて味わうことができました)、巨済島にある長門浦倭城へ行きました。  文禄2年に築かれたもので、築城者や城主についてはいろいろな説があります。「蜂須賀家政・生駒親正が築城し交代守備したしたとする説、福島正則・戸田勝重・長宗我部元親が築城し交代守備したとする説、福島正則・戸田勝重が築城し生駒親正・長宗我部元親等が守備したとする説... ...続きを見る

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2019/05/17 00:07
旅行記153 三成の実像2631 壱岐対馬を経て韓国へ12 17年ぶりの熊川倭城
旅行記153 三成の実像2631 壱岐対馬を経て韓国へ12 17年ぶりの熊川倭城  4月30日、釜山西方の倭城めぐりをしましたが、熊川邑城の次に熊川倭城へ行きました。熊川倭城は17年前にも登りました。写真は山頂の様子を撮ったものです。石がゴロゴロしてしているのは、以前と変わりません。山の上から海が見えましたが、埋め立てが進んでおり、海岸線が随分後退したという印象を持ちます。  熊川倭城は小早川隆景が築城し、このあと上杉景勝も加わりましたが、景勝は三ヶ月程で名護屋に戻っています。隆景の代わりに、小西行長が入りましたが、石田三成も熊川倭城を訪ねています。  なお、中野等氏の「... ...続きを見る

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2019/05/16 10:38
フランス文学探訪100  フローベル「ボヴァリ−夫人」1 ロマンに憧れた夫人の悲劇 
 何ヶ月かかけてこの作品を原書で読みました。何度目かの読書ですが、久しぶりでしたので、新鮮な思いで読み続けることができました。  フローベルは1821年にルーアンで生まれました。父親は市立病院の外科部長でした。フローベルは中学生の時から文学に熱中し、数々の習作を書いています。19歳の時にパリ大学の法学部に入学しますが、籍を置いていただけで、結局、法律の勉強は断念して、文学に専念するのです。  彼が友達からリー町の開業医ドラマール夫人の事件を書くように勧められたのが27歳の時であり、それを... ...続きを見る

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2019/05/15 21:29
旅行記152 三成の実像2630 壱岐対馬を経て韓国へ11 復元された熊川邑城
旅行記152 三成の実像2630 壱岐対馬を経て韓国へ11 復元された熊川邑城  平成最後の日の4月30日、釜山西方の倭城めぐりをしました。ワゴン車をチャーターして、8時半ホテルを出発しました。釜山に住んでいる倭城に詳しい、日本人女性の植本友里さんに案内していただきました。彼女はすべての倭城を踏破したというつわもので、黒田慶一氏の薫陶を受けており、2日間に渡ってガイドを頼みました。彼女は日本での倭城イベントに出演されたり、「清正流石垣のルーツ」という報告書を出されるなど、幅広く活躍されています  まず熊川邑城へ行きました。ここは初めてです。朝鮮側が造った城ですが、文禄・慶... ...続きを見る

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2019/05/15 12:15
フランス文学探訪99 サガン「ブラームスはお好き?」2 恋人の浮気心は改まらず、主人公も孤独のまま
 ポールとシモンは一緒に暮らすようになりますが、ポールはロジェのことが忘れられません。それに周囲の者の目も気になります。ポールが若い男と付き合っていることで、人から嫌味を言われ、傷つきますし、こんな関係がいつまで続くのかと将来に対して不安を覚えます。ロジェも付き合っている映画女優からシェリー(いとしい人)と呼びかけられ、相手にそう呼ばれる筋合いはないと怒り出す始末です。映画女優との関係が一時的なもので、自分が本当にいとしいと思っているのはポールだと気づくのです。  ポールとロジェはそれぞれが... ...続きを見る

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2019/05/14 21:06
旅行記151 三成の実像2629 壱岐対馬を経て韓国へ10 釜山で豚クッパ・三成が到着した期日は不明
旅行記151 三成の実像2629 壱岐対馬を経て韓国へ10 釜山で豚クッパ・三成が到着した期日は不明  4月29日の夕方、釜山港に着きました。対馬の比田勝港から高速船で一時間余りでしたが、今度は入国手続をしなければならず、書類も書く必要がありました。外国に行くのは、7年前のスイス旅行以来です。もっとも、手続き自体はそれほど時間がかかりませんでしたが。船は満員でした。  港から歩いて釜山駅前のホテルまで15分かかって歩きました。まだ雨が降り続いていました。港や駅近辺の様子は、17年前に来た時の釜山のイメージと大きく変わっており、道も広くなっており、洒落たビルも出来ていました。  ホテルにチェッ... ...続きを見る

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2019/05/14 10:53
フランス文学探訪98 サガン「ブラームスはお好き?」1 恋人がいながらも孤独を感じる39歳の女性 
 この小説のヒロイン、ポールは39歳、室内装飾の仕事をしています。彼女には40過ぎのロジェという恋人がいますが、自由を楽しんでいるのは彼だけで、彼女自身は孤独を感じています。それもそのはずで、ロジェは彼女の部屋に泊まることはせず、別の女性とのアバンチュールを楽しむ遊び人です。彼女は自分を必要としてくれる男を求めていましたが、そんな時、室内装飾を頼まれた家の息子シモンと出会います。彼は25歳の美青年であり、一目見た時は自分の好みのタイプではないと彼女は思いますが、照れた様子を見せる彼に好感を抱き、... ...続きを見る

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2019/05/13 18:07
旅行記150 三成の実像2628 壱岐対馬を経て韓国へ9 対馬の伝・嶋左近の墓
旅行記150 三成の実像2628 壱岐対馬を経て韓国へ9 対馬の伝・嶋左近の墓   4月29日の対馬めぐりですが、そば屋で昼食を取った(対州そばと信州そばの両盛りで、味の違いを楽しめました)あと、島左近の墓と伝わるところに行きました。説明掲示板が建っていたので(上の写真)、それに従って雨の降る中、山の中に入って行ったのですが、途中で道が切れており、行く道がわからず、結局引き返しました。時間があれば、探索を続けたのですが、3時には、釜山行きの高速船が出る比田勝港に着かねばならないため、急いでタクシーに戻りました。  島左近は石田三成の重臣であり、関ヶ原の戦いで亡くなったとい... ...続きを見る

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2019/05/13 12:54
フランス文学探訪97  モーパッサン「手」2  手が襲うところを描写しないだけに、想像がふくらむ効果
 人間の手による犯行というのは、いかにも怪奇小説らしい趣きを備えています。ありえない話をいかに、本当らしく思わせるかが、作者の腕の見せどころですが、襲うところは全く描写せず、結果だけで示しているのが、ミステリアスで想像をたくましくさせます。手が這いまわっているところも、夢の中でしか出て来ませんし、墓の上で手が発見されたというラストシーンも不気味で効果的です。昔の怪獣映画でも、いきなりその怪獣の姿は出さずに、影を見せたり一部を見せたりして、思わせぶりなことをよくしていました。見ている方は焦らされて... ...続きを見る

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2019/05/12 18:57

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