石田三成の実像3188「関ヶ原大乱、本当の勝者」173 白峰旬氏「終章ー関ヶ原本戦について記した近衛前久書状」12…

 白峰氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、白峰氏の「終章ー関ヶ原本戦について記した近衛前久書状」の中で、「なぜ『関ヶ原』合戦という呼称だけが公称として残ったのか?」という点について、次のように考察されています。  「家康が9月15日付で伊達政宗に出した書状(『徳川家康文書の研究』)によれば、石田方の宇喜多秀家、島津義弘、小…
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音楽探訪51 東大阪市文化創造館での「ベッラ・ボーチェ 新春コンサート」 大阪探訪65 布施高校・司馬遼太郎…

 1月10日、東大阪市文化創造館での「ベッラ・ボーチェ 新春コンサート」を見に行きました。大阪府立大手前高校の同僚だったT先生の娘さんが出演されているので、招待を受けました。休憩を挟んで1時間半の公演でした。出演者はいずれも若い女性の方々で、豊かで伸び伸びとした歌声で独唱曲をそれぞれ情感たっぷりに披露されていました。最後は出演者全員で「…
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石田三成の実像3187「関ヶ原大乱、本当の勝者」172 白峰旬氏「終章ー関ヶ原本戦について記した近衛前久書状」11…

白峰氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、白峰氏の「終章ー関ヶ原本戦について記した近衛前久書状」の中で、藤井讓治氏が関ヶ原の戦いの戦場名の表記について検討した結果、次のようにまとめられていることが紹介されています。 「(1)『山中』は、実際に東軍と西軍が激突した地である。  (2)島津義弘が『関か原之合戦』としたのは、島津…
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奈良探訪 古典文学探訪157 犬養孝氏の「万葉の旅」に掲載されている、大伴坂上郎女の「佐保川」を詠んだ歌

 1月7日、新大宮駅近くにある印刷所での打ち合わせまで少し時間があったので、佐保川の川辺をちょっと散策しました。「万葉集」には、「佐保川」「佐保の川」を詠んだ歌が計18首掲載されています。犬養孝氏の「万葉の旅」では、「佐保川」を詠んだ歌として、大伴坂上郎女(おおとものさかのうへのいらつめ)の次の歌をはじめ3首が載っています。彼女は大伴旅…
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石田三成の実像3186  白峰旬氏「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」12「8月12日付伊達政…

  白峰旬氏の「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」の中で、「8月12日付伊達政宗宛徳川家康書状」の内容解釈がされていますが、「先頃、家康から伊達政宗に申し入れたように、上方(への出陣)を止めて、会津表(への出陣)を家康は申し付けるべき覚悟である、としている」点について、これが「家康の本心なのか、伊達政宗への言い訳であ…
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京都探訪348 7日、御香宮神社に初詣・秀吉時代は小早川秀秋の屋敷・名水の御香水・鳥羽伏見の戦いで薩摩軍が陣を置く

1月7日、短歌誌の発行の最終打ち合わせのため、奈良の新大宮の近くにある印刷所まで行きました。家からそこまで行くには、JRか京阪に乗って、途中で近鉄に乗り換える必要があるのですが、今回はJR桃山駅で下車し、近鉄桃山御陵駅まで大手筋通を歩いて乗り換えました。その時、途中にある御香宮神社にお参りしました。これが遅まきながら、初詣になります。平…
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石田三成の実像3185「関ヶ原大乱、本当の勝者」171 白峰旬氏「終章ー関ヶ原本戦について記した近衛前久書状」10…

 白峰氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、白峰氏の「終章ー関ヶ原本戦について記した近衛前久書状」の中で、慶長5年9月20日付の近衛信尹宛近衛前久書状の、追而書(おってがき)の中で、「猶々(なおなお)、このように述べたところに津小平(津田秀政)方より書状をくれて、家康は今日(9月20日)大津へ来たとのことを言ってきたので、主水…
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京都探訪347 「GO TO EAT」のポイントを使ってのランチ(ベトナム料理)・西本願寺の40年ぶりに修復された…

「GO TO EAT」のポイントの使用期限が昨年12月31日までだったので、その前日にポイントを使って妻と京都駅前の店までベトナム料理を食べに行きました。と言っても、1000ポイントだけなのですが、みすみす無駄にするのももったいないので、使いました。1昨年10月に「食べログ」で取得したものですが、「食べログ」に加盟しており、かつポイント…
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石田三成の実像3184「関ヶ原大乱、本当の勝者」170 白峰旬氏「終章ー関ヶ原本戦について記した近衛前久書状」9 …

 白峰氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、白峰氏の「終章ー関ヶ原本戦について記した近衛前久書状」の中で、慶長5年9月20日付の近衛信尹宛近衛前久書状の、伊達政宗が上杉景勝方の白石城を攻略したことについて述べた部分について、「白石とかいう城は景勝(方)が守備していたが、『此方』(こちら)へ取られて、政宗が入城したということであ…
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京都探訪346 和泉式部が初代住職になった誠心院・恋多き情熱的な歌人・愛する二人の親王と娘の小式部内侍の死

 昨年12月22日、われわれは最初は寺町通を歩き、途中から新京極通に入りましたが、誓願寺の南にある誠心院に少し立ち寄りました。誠心院は歌人であった和泉式部が初代住職を務めました。和泉式部は誓願寺に籠もって仏教に帰依し、尼となって、誠心院を開きます。誠心院の境内には、和泉式部の大きな墓が建っています。  和泉式部は恋多き情熱的な女性とし…
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石田三成の実像3183「関ヶ原大乱、本当の勝者」169 白峰旬氏「終章ー関ヶ原本戦について記した近衛前久書状」8 …

 白峰氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、白峰氏の「終章ー関ヶ原本戦について記した近衛前久書状」の中で、慶長5年9月20日付の近衛信尹宛近衛前久書状の、「宇喜多秀家は討死したとの風聞である。(このことは)異儀(異存)がない、とのことを(前久のところへ来た者が)言った」と現代語訳されている部分について次のように解説されています…
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京都探訪345 當麻曼荼羅ゆかりの天性寺・矢田地蔵尊の「代受苦地蔵」と「送り鐘」・京極龍子の庇護を受けた誓願寺、落…

 本能寺のすぐ南に、天性寺があります。いずれも寺町通に面していますが、寺町通にずらりと寺を集めたのは秀吉です。天性寺は大和の當麻寺の僧が創建した寺で、正式名は曼荼羅山當麻院天性寺と言います。伝説では、中将姫が當麻曼荼羅を一晩で織ったと言われています。折口信夫の小説「死者の書」の中で、中将姫が大津皇子の亡霊と交感して織ったというふうに描か…
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石田三成の実像3182  白峰旬氏「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」11 「7月19日付福島…

 白峰旬氏は、一次史料の検討から、小山評定はなく、上杉攻めの中止は家康自身が宇都宮で決定したという見解を出されており、「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」の中で、「7月26日付京極高次宛徳川家康書状写」の内容について、次のように記されています。  「今日(7月)26日より御人数が西上し、家康もたしかに上洛するので『…
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石田三成の実像3181 中野等氏の講演「石田三成の遺したもの 秀吉と三成」1 石田三成関係系図から見えてくるもの …

 昨年12月10日の夜に彦根で行われた中野等氏の講演会「石田三成の遺したもの 秀吉と三成」は、本来10月に行なわれる予定でしたが、コロナの影響で12月に延期されました。今回は、秀吉が亡くなる前までの三成の事績を中心に述べられ、没後から関ヶ原の戦いまでの三成の動きについては、来年2月の講演会で語られる予定です。  講演会の資料は、書状な…
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京都探訪344 浄教寺と合体した三井ガーデンホテルの店で結婚記念日に海鮮御膳・本能寺の信長廟・「麒麟がくる」の本能…

昨年12月22日は結婚記念日だったので、2人でレストランのランチを食べに行きました。京都の寺町通にある浄教寺と三井ガーデンホテルが合体した建物の中にある店ですが、新しい形態なので、マスコミでも取り上げられました。お寺の経営が苦しい中にあって、そういうホテルとの合体という形を取らざるをえなかったということですが、今後も生き残りのた…
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元日は白味噌仕立て、2日はすまし汁の雑煮・石田三成一族の血を引いている可能性がある、母方の石田家本家初代の菩提寺は…

元日はいつも朝昼兼用で白味噌仕立てのお雑煮とおせち料理を食べますが、2日目のお雑煮はすまし汁です。  さて、母方の石田家は分家なのですが、本家は大垣にあります。本家の十代目当主の方からの今年の年賀状に、高齢のため年始の挨拶は今年で最後にさせていただくと書かれていました。母の従兄弟に当たり、95歳です。  本家の家譜に、初代は岐阜県の…
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石田三成の実像3180「関ヶ原大乱、本当の勝者」168 白峰旬氏「終章ー関ヶ原本戦について記した近衛前久書状」7 …

白峰氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、白峰氏の「終章ー関ヶ原本戦について記した近衛前久書状」の中で、慶長5年9月20日付の近衛信尹宛近衛前久書状の、「吉川広家は、毛利輝元が取っている知行分をことごとくたまわり置くのであれば家康へ味方に参るべし、との噯【あつか】い([事前の]交渉)であったが、それではあまりの恣(ほしいまま)…
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謹賀新年 旅行記292 講演会出席を兼ねての彦根旅行9 佐和山に登った後、城下町跡の本町筋、大手口あたりを散策・中…

明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。  昨年12月の彦根旅行ですが、もう1泊し、12日に佐和山に登りました。10月にも登っていますが、今回はルートを替え、太鼓丸口、千貫井戸、本丸、西の丸を見た後、かもう坂往還道を下って、内堀跡を渡って、l佐和山城の城下町があった時のメインストリートだった本町筋あたり(今は田畑や…
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石田三成の実像3179  白峰旬氏「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」10 「7月19日付福島…

 通説では、上杉攻めに向かっていた家康らが、上方での三成・大谷吉継らの挙兵を知って、小山で評定を開き、これからどうすべきか諸将に諮ったところ、福島正則が「三成討つべし」などと言って口火を切ると、諸将らが次々に賛同し、正則ら豊臣系諸将は小山から引き返して西上していったというふうに捉えられてきました。  しかし、白峰旬氏は、一次史料の検討…
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秀吉が赤松氏の娘との間に儲けた「太郎」? 旅行記291 講演会出席を兼ねての彦根旅行8 竹生島の八大龍王拝所からの…

 昨日の拙ブログで、和田裕弘氏の「豊臣秀吉の実子といわれる『石松丸』について」(『天下布武』第28号所載)について触れましたが、この論考をご紹介していただいたのは、桐野作人氏です。改めてお礼申し上げます。  和田氏の同論考で、石松丸が朝倉景鏡の子であり、秀吉の養子になったという説が唱えられていることは前述しましたが、合わせて、秀吉が赤…
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