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関ヶ原の残党、石田世一の文学館
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三成の実像2480 中野等氏の総論「石田三成をめぐる二・三の論点」3 慶長3年7月段階の政局
 11月に名古屋大学で行われた「織豊期研究会」のシンポジウム「近世成立期の大規模戦争と国制」の中野等氏の総論「石田三成をめぐる二・三の論点ー豊臣政権の末期を対象としてー」ですが、秀吉の死の前後の政局の推移について考察が加えられています。 まず慶長5年7月段階における政局を、「浅野家文書」の「豊臣秀吉遺言覚書」をもとに論じられています。「臨終を前にした秀吉が『時々』に後事について語ったもの」だと推定され、「『覚』である以上、作成者の主観はあるものの、ある段階まで秀吉没後における政権の基本路線... ...続きを見る

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2018/12/11 10:48
三成の実像2479 中野等氏の総論「石田三成をめぐる二・三の論点」2 奉行・奉行制・取次
 11月に名古屋大学で行われた「織豊期研究会」のシンポジウム「近世成立期の大規模戦争と国制」の中野等氏の総論「石田三成をめぐる二・三の論点ー豊臣政権の末期を対象としてー」ですが、奉行は文書の中では通常は明示されず、秀吉発給文書の末尾に「尚、〇〇・△△可申候」とみえる○○・△△こそが「奉行」であり、「非制度的で、かつ属人的な存在」だと説明されていました。  「奉行制」は「制度的・組織的」だが、「充所・発給が複数なら『奉行制』なのか」ということに関しては、短絡的だと否定的され、「〇〇・△△間での談... ...続きを見る

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2018/12/10 17:14
三成の実像2478 中野等氏の総論「石田三成をめぐる二・三の論点」1 三成論の系譜・三成の位置づけ
 11月に名古屋大学で行われた「織豊期研究会」のシンポジウム「近世成立期の大規模戦争と国制」の中野等氏の総論「石田三成をめぐる二・三の論点ー豊臣政権の末期を対象としてー」ですが、まず三成論の系譜として三成を論じたこれまでの著書がいろいろと挙げられていました。渡辺世祐氏の「稿本 石田三成」が最初ですが、この本は私は読んだことはありません。今井林太郎氏の「石田三成」は、その現代語訳されたものだと説明されていましたが、この書は持っています。桑田忠親氏、白川亨氏、矢部健太郎氏の書も並んでいますし、中井俊... ...続きを見る

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2018/12/09 11:01
三成の実像2477 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」21 小山評定の問題
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  いわゆる小山評定があったとする本多隆成氏と、否定論の白峰氏の間で、「小山評定論争」が続いていることも講演会で述べられていましたが、この論争については、拙ブログでも前述しました。  白峰氏の否定論の根拠とし... ...続きを見る

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2018/12/08 10:53
三成の実像2476 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」20 通説と白峰説の違い
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  講演会では、関ヶ原の戦いに関する通説と白峰説の違いが要領よく述べられています。  開戦時間は、「関原軍記大成」などの軍記物によれば午前8時というのが通説であるのに対して、9月17日付の松平家乗宛石川康通・... ...続きを見る

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2018/12/07 18:32
三成の実像2475 白峰旬氏講演「関ヶ原の戦いを再検討する」19 家康方の先手メンバー・家康はどこに
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  関ヶ原の戦いにおける家康方の先手のメンバーについて、「一次史料でも史料により一致しない」と指摘されています。  すなわち、9月17日付の吉川広家自筆書状案では「福島正則、黒田長政」、同日付の松平家乗宛石川... ...続きを見る

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2018/12/06 10:46
三成の実像2474 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」18 吉川広家自筆書状案
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  関ヶ原の戦いの2日後の9月17日付の吉川広家自筆書状案について、次のような問題点など(正しい点も)が指摘されています。  「書状案なので、いろいろと削除した文章(見せ消ちの箇所)が多く入っており、内容解釈... ...続きを見る

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2018/12/05 11:07
三成の実像2473 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」17 前日の毛利と家康の和平は捏造
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  「吉川広家が合戦の前日(9月14日)に急遽、家康との和平を取り付けた、というのは吉川広家による完全な捏造」であり、「合戦の前日に御和平を取り付けた、とする起請文(3ヶ条)の2ヶ条目を完璧に、本物の起請文とは... ...続きを見る

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2018/12/04 10:34
三成の実像2472 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」16 関ヶ原と山中の違い
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  「家康は書状において、山中と関ヶ原を書き分けている(つまり、山中と関ヶ原は別々の場所であると家康は認識していた)」ことが指摘されていますが、その根拠として、9月15日付の伊達政宗宛家康書状では、「今十五日午... ...続きを見る

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2018/12/03 21:22
三成の実像2471 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」15 戦いの時間経過
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  9月15日当日の戦いの時間経過について、次のように述べられています。  「@家康方軍勢が早朝(日の出以降)に大谷吉継の陣に攻めかかり、その後、小早川秀秋が裏切って大谷吉継の陣を攻めたため、大谷吉継の陣は壊... ...続きを見る

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2018/12/02 11:05
三成の実像2470 白峰旬氏講演「関ヶ原の戦いを再検討する」14 考えるべきポイント・京極高次の動向
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  講演会では、「考えるべきポイント」として、次のような点が挙げられています。  「9月15日当日の大谷吉継の布陣位置(+それまでのルートと所在場所)」  「9月15日当日の小早川秀秋の布陣位置(+それまで... ...続きを見る

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2018/12/01 11:09
三成の実像2469 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」13 吉継は大垣城に入城したのか?2
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  8月1日付の中川秀成宛黒田如水書状に、伊勢と江州の境目に城をこしらえ、その大将に大谷吉継がなり、それは家康の西上に備えたものだという意味のことが記されていることが取り上げられ、その記述について次のように考察... ...続きを見る

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2018/11/30 10:34
三成の実像2468 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」12 吉継は大垣城に入城したのか?1
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  「大谷吉継がどのようにして戦場(関ヶ原)に来て、どこに布陣したのか?」という問題について、「通説では、大谷吉継の山中への布陣は9月3日とする(参謀本部編纂『日本戦史関原役(本編)』)」が、「これは一次史料に... ...続きを見る

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2018/11/29 17:57
三成の実像2467 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」11 当日に小早川はどこにいたのか?2
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  「9月15日に小早川秀秋はどこにいたのか?」という問題に関連して、8月29日の時点で、秀秋が石田三成・宇喜多秀家・小西行長・島津義弘と共に大垣城に籠城していたとする記述が、8月29日付の松沢喜右衛門尉他二名... ...続きを見る

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2018/11/28 10:45
三成の実像2466 佐和山城跡での第17回琵琶湖一周のろし駅伝・舞兵庫も参陣・「残紅葉」 
三成の実像2466 佐和山城跡での第17回琵琶湖一周のろし駅伝・舞兵庫も参陣・「残紅葉」    23日に、三成の居城があった佐和山での琵琶湖一周のろし駅伝、午後からの山麓の佐和山会館で行われた「いしだみつにゃん」誕生祭に行ってきました。その時の写真はフェイスブックの方でも何枚か掲載していますので、興味のある方はそちらの方も御覧ください。 https://www.facebook.com/toshiyuki.hisatomi.7 ...続きを見る

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2018/11/27 17:15
三成の実像2465 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」10  当日に小早川はどこにいたのか?
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  「9月15日に小早川秀秋はどこにいたのか?」という問題について、「ひとつの想定として、大谷吉継と共に最前線に移動していたか?そして、大谷吉継の背後から裏切ったのか?」ということが述べられています。  白峰... ...続きを見る

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2018/11/26 10:43
三成の実像2464 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」9  9月15日の戦況
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  9月15日の戦況について、「問鉄炮の話がこれまで深く信じ込まれてきたため、当日は昼頃まで戦況は膠着してきた、と理解されてきた」が、「当日の戦いに参戦した島津家家臣史料によれば、当日の昼頃(12時)には決着が... ...続きを見る

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2018/11/25 00:21
三成の実像2463 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」8 反家康の挙兵2 鍋島勝茂書状
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  講演では、「当時の秀吉死後の政権内のパワーゲームは現在の我々では想像もつかない状況だったのであろう」、「現在の我々はその後の結果を知っているので、家康中心に当時の歴史像を組み立てるが、なかなかすさまじい状況... ...続きを見る

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2018/11/24 10:53
三成の実像2462 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」7 反家康の挙兵
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  講演会では、石田三成・毛利輝元などによる反家康の挙兵が、「いきあたりばったりの無計画な挙兵だった」という通説について、「そうではない」と否定されています。すなわち、「これまでの通説では、結果だけを見て、悪あ... ...続きを見る

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2018/11/23 00:10
三成の実像2461 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」6 豊臣秀頼は天下人
 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。  講演会では、「秀頼は天下人になれずに大坂の陣で死んでいった(秀頼は次期天下人のまま死んでいった)」という、「通説的な見方は誤り」で、「秀頼は豊臣秀吉が後継指名した時点で天下人になった、と考えるべき」であり、... ...続きを見る

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2018/11/22 11:09

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