石田三成の実像2891 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」4 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」2 家康の政権簒奪の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、通説通り、家康はかねてより豊臣政権を簒奪しようという野望を抱いていたという見解が示され、その根拠がいろいろ示されていますが、その一つとしてフランシスコ会宣教師ヒエロニモ・デ・ジエズスの西暦1598年12月20日付の書簡の内容が挙げられています。 …
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京都探訪320 朝日新聞の「古都ものがたり」の「藤山扇治郎 なじみ深い知恩院」 松竹新喜劇の盛り返しに期待

 知恩院の三門の前の駐車場はガラガラでした。コロナ禍の前は、バスがずらりと並び、入り切れないバスは路上に駐車していました。今は団体客の姿は全く見かけません。  二年前の朝日新聞の「古都ものがたり」の欄に「藤山扇治郎 なじみ深い知恩院」と題する記事が出ていました。扇治郎さんは藤山寛美さんの孫(藤山直美さんは伯母)で、若手ながら松竹新喜劇…
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石田三成の実像2890 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」26 文禄2年8月6日付の毛利秀…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、毛利氏に関係したものとして、文禄2年(1593)8月6日付で出された毛利秀元宛豊臣秀吉朱印状が掲載されており、次のように解説されています。   「朝鮮半島に渡った秀元は、文禄出兵で最後の激戦となる文禄2年(15…
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京都探訪319 古門前橋 ドラマ探訪 「なめとんか やしきたかじん誕生物語」のロケ地の一つ ・京都での下積み生活

  白川から知恩院に通じる華頂道のところに、「古門前橋」が架かっていますが、このあたりは、関西テレビ制作のドラマ「なめとんか やしきたかじん誕生物語」のロケ地の一つになっています。  このドラマは、たかじんさんの若い頃の京都での下積み生活を中心に描いたものですが、駿河太郎さん(父親は笑福亭鶴瓶さん)が熱演していました。鶴瓶さんとの交…
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石田三成の実像2889 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」3 水野伍貴氏「徳川家康の戦い」1 家康の政権簒奪の…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の水野伍貴氏の「徳川家康の戦い」の中で、「家康が最初から豊臣政権を簒奪しようとしていたとするのはおかしい」という新説に対して、通説通り、家康はかねてより野望を抱いていたという見解が示されています。  その根拠として、まず次のような史料が挙げられています。  「豊臣秀吉の死から10日後…
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京都探訪318 円山公園にある祇園祭の山鉾の収納庫・円山公園の名前の由来

 京都の七月は、祇園祭一色になると言っても過言ではありませんが、今年は山鉾巡行などの行事が行われないので、いつもの賑わいがなくなるのは残念なことです。もっとも、神事は行われるので、祇園祭自体がなくなるわけではありませんが。疫病退散などのために始まった祇園祭が、大幅に縮小されるのはなんともやりきれませんが、一番残念に思っておられるのは、祇…
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石田三成の実像2888 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」44 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の関ヶ原の戦いの敗戦後、大坂に戻って家康の沙汰を待っていた龍造寺・鍋島氏のことについて、次のように記されています。 「大坂城下の屋敷周辺にも…
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大河ドラマ探訪473 明智光秀役のキャスティングに二系統あるとのペリー荻野さんの見解 京都探訪318 光秀が討たれ…

「朝日新聞」土曜版の「みちのものがたり」のコーナーに、愛宕山に上る山道「明智越」が紹介されていましたが、その記事の中で、大河ドラマの明智光秀役のキャスティングに二系統あるとの時代劇研究家のペリー荻野さんの見解が掲載されていました。  すなわち、一つは「正統派二枚目路線」、「基本、知的で屈折した正義漢で、信長の非道に憤った反逆者として描…
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石田三成の実像2887 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」2 序章2・「慶長庚子の大乱」という名称を提唱・タイ…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の序章で、白峰氏はかねてより、慶長5年の関ヶ原の戦いを本戦とする全国レベルで起こった争乱を、「慶長庚子の大乱」と命名されていますが、「本書では書名に使用するため、便宜上、『慶長庚子の大乱』を『関ヶ原大乱』と名付けた」と記されています。  確かに一般の人々には、「慶長庚子の大乱」という名…
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京都探訪317 明智光秀の首塚 粟田口で首をさらされた後、その近くに埋められ、江戸中期に現在地に移される

 柚子屋旅館の昼食を取りに行った時は、地下鉄東山駅で降りて、白川沿いに南下して、知恩院から円山公園・八坂神社と歩いていきましたが、白川沿いの道を少し東に入ったところに、明智光秀の首塚があります。  ここも「麒麟がくる」のおかげで、ちょっした観光スポットになっているようで、新しい説明掲示板も建っています。それには、光秀は天正10年(15…
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石田三成の実像2886 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」25 文禄5年5月23日付で出さ…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、毛利氏に関係したものとして、文禄5年(1596)5月23日付で出された「毛利輝元法度」が掲載されており、次のように解説されています。 「毛利輝元が、大陸出兵の休戦期に分国内で制定した掟書。毛利氏内部における…
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白峰旬氏「『本城惣右衛門覚書』全文現代語訳」1 本能寺の変の際、家康への援軍のため光秀軍は京に進軍したと思ったと解…

 白峰旬氏よりご恵贈賜わりました「『本城惣右衛門覚書』全文現代語訳」(併せて同「覚書」の原文のコピーも含めて)ですが、本城惣右衛門が後年になって自分がこれまでしてきたことを書いたものです。 惣右衛門は本能寺の変、明智光秀方として、信長のいる本能寺を攻めましたが、この時のことも記していて、光秀軍が京へ進軍したのは、上洛している徳川…
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石田三成の実像2885 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」43 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の関ヶ原の戦いの敗戦後、伊勢の野代に陣を置いていた龍造家・鍋島軍は、大坂に戻りますが、大坂でのことについて、次のように記されています。  「…
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京都探訪316 柚子屋旅館の「一心居」の柚子雑炊鍋膳・「蘇民将来子孫也」と書かれた疫病除けのちまき・十五種類のおば…

 五ヶ月ぶりに京都で妻と外食しました。いつも互いの誕生日祝いに、ちょっとしたランチを食べることをここ何年か続けてきましたが、今年は外出自粛要請のため、延び延びになっていました。  八坂神社のすぐ南にある柚子屋旅館のレストラン「一心居」でドリンク付きの柚子雑炊鍋膳を食べました。6月中は、20パーセント近い割引料金になっていてお得です。 …
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石田三成の実像2884 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」24 万暦23年(1595)2月…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、毛利氏に関係したものとして、万暦23年(1595)2月付の毛利輝元宛の「明朝箚付写」が掲載されており、次のように解説されています。 「文禄4年(1595)、秀吉を日本国王に冊封するため訪れた明使は、同時に豊臣政…
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映画探訪35 「ひまわり」 戦争のせいで引き裂かれた夫婦の物語・リュドミラ・サベーリエワも出演・一面のひまわり畑の…

 映画「ひまわり」を三十年ぐらいぶりに見ました。戦争のせいで引き裂かれた夫婦の物語で、往年の名作です。改めて見ても、切なくて悲しく、胸打たれます。夫婦役はソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニというイタリアを代表する名優ですし、ロシア女性として、「戦争と平和」のヒロインを演じた、リュドミラ・サベーリエワが出演しています。彼女の出…
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石田三成の実像2883 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」42 中西氏「第一章 龍造寺・鍋島氏にとって…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、中西氏が担当されている「第一章 龍造寺・鍋島氏にとっての『関ヶ原』、江上八院の戦い」の中で、慶長5年の「慶長庚子大乱」の関ヶ原の戦いの敗戦後、伊勢の野代に陣を置いていた龍造家・鍋島軍は、大坂に戻りますが、そのルートについて、次のように記されています。  「龍…
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「歴史秘話ヒストリア」 比叡山焼き討ちは一部だったという発掘調査結果・実際は坂本の町が焼き討ちされたという見解

 NHKの番組「歴史秘話ヒストリア」の中で、信長が行った比叡山焼き討ちについて、発掘調査によって、比叡山で焼けたのは根本中堂や大講堂などの限られたところであり、大部分の場所は火事の痕跡がなかったことが明らかになったと説明されていました。焼き討ちを行って根絶やしにしたのは、比叡山の拠点であるふもとの坂本だったという新説についても紹介されて…
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石田三成の実像2882 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」23 文禄2年8月6日付の安国寺…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、毛利氏に関係したものとして、文禄2年(1593)8月6日付の安国寺恵瓊宛の豊臣秀吉朱印状が掲載されており、次のように解説されています。  「毛利氏の顧問僧であり、豊臣政権とも近しい安国寺恵瓊宛に対し、秀吉から送ら…
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自作小説の周辺5 1996年頃に書いた30才女性のシングルライフを描いた小説・香港マカオ旅行も描く

 以前、拙歌集に「女三十才のシングルライフ」と題する連作の創作短歌を掲載しましたが、それを新たな設定で小説化したものを1996年頃に書きました。その小説も現在、見直して編集しています。三十才で独身生活を送っている女性を何人か登場させ、それぞれの恋愛模様、生き方を描いたものです。日本は相変わらず男社会であり、結婚生活がとりわけ女性に負担を…
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