旅行記224 37年前の中国研修旅行 その時に発行した文集「朱華」・「古都西安」と題する拙文

 亡父が太平洋戦争の時、兵隊として武漢に行ったので、かねがね一度訪れたいと思いながら、果たせないままです。新型コロナウイルスは、武漢で発生したと云われていますが、中国当局が最初のうちはそのことを隠蔽していたため、感染が広がってしまったという見方が専らです。これも一党独裁の弊害で、最近、ますますその傾向が強くなっています。 もっと…
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石田三成の実像2839 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」23 実戦状況に関する白峰氏の考察14 兵科…

 中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、白峰氏が担当されている「第四章 江上八院の戦いの実戦状況」の中で、立花勢の小野和泉守、立花吉左衛門、十時源兵衛が後日申し上げた「覚」に基づいて、「兵科別編成部隊の存在」について考察され、次のようなことが指摘されています。  「敵味方ともに兵科別編成の部隊(敵…
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旅行記223 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行18 洲本城に柴右衛門狸を祀る祠 落語探訪 桂米朝さんの「…

洲本城の本丸跡に芝右衛門狸を祀る祠があります。芝右衛門狸はこの山に住んでいたとされる狸で、次のような伝説があります。この狸は人に化けて浪速の中座まで船で芝居見物に行き、木の葉で木戸銭を払っていましたが、芝居小屋の人の知るところとなり、番犬に襲われて殺されてしまいます。その後、中座の人の入りが悪くなったので、中座に芝右衛門狸を祀ると…
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石田三成の実像2838 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」4 「名古屋陣之図」 三成の陣替…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、佐賀県立名護屋城博物館蔵の「名古屋陣之図」が掲載され、次のように解説されています。  「名護屋城の周辺には、大陸出兵に動員された多くの大名たちの陣屋が所在していた。江戸時代以降になると、諸大名の陣屋を考証し、位置関係を描きこんだ絵図が好事家や…
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旅行記222 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行17 興源寺の蜂須賀墓所・正勝は野盗だったというのは作り事

2月24日、徳島市内めぐりの最後に、興源寺の蜂須賀家墓所を訪ねました。徳島城跡の北側を東西に流れているのが助任川ですが、そこを越えて、さらに北に十分程歩いて行ったところにあります。   蜂須賀家の家祖の正勝と松夫妻の墓だけ離れたところにありますが、徳島藩の藩祖である家政や初代藩主の至鎮をはじめとして歴代藩主などの墓は、広い敷地の中に…
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石田三成の実像2837 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」22 実戦状況に関する白峰氏の考察13 勝者…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、白峰氏が担当されている「第四章 江上八院の戦いの実戦状況」の中で、「勝者側と敗者側の一次史料による認識の差異」について論じられていますが、10月27日付の島津義久・島津義弘・島津忠恒宛の立花宗茂書状が取り上げられ、その記載内容から、次のような点が指摘されています…
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自作短歌の周辺37 「歪められた歴史」と題する拙歌・権力者によって文書が改竄されたり廃棄されたりするのは今も変わらず

 森友問題で自殺した近畿財務局の職員の遺書が公開され、文書の改竄を指示したのは佐川元理財局長だったという内容が明らかになりました。隠された真実がようやく表にでてきたという思いがすると共に、自殺した人の苦悩と怒りが生々しく記されおり、心が痛みました。しかし、政府も与党も財務省も、再調査する気は全くなく、逃げの姿勢に終始しています。安倍政権…
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石田三成の実像2836 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」3 肥前名護屋城図屏風

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、佐賀県立名護屋城博物館蔵の「肥前名護屋城図屏風」(複製) が掲載され、次のように解説されています。  「『唐入り』の遂行にあたり、秀吉は壱岐・対馬を挟んで朝鮮半島と隣接する、肥前国名護屋の地を前哨基地に選定した。秀吉の御座所である名護屋城と、…
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旅行記221 日本文学探訪128 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行16 阿波踊りのモニュメント・阿波踊り…

徳島と云えば阿波おどりが有名ですが、それにちなんだモニュメントが市内にいろいろあります。阿波おどり会館の前には、編み笠の形をしたへんろ小屋(お遍路さんの休憩所)、そこから東南に十分足らず歩くと、阿波おどりからくり時計があります。残念ながら、その時間ではなかったので、見られませんでしたが、文字通り人形が阿波おどりを踊るというからくりになっ…
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石田三成の実像2835 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」21 実戦状況に関する白峰氏の考察12 勝者…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、白峰氏が担当されている「第四章 江上八院の戦いの実戦状況」の中で、「勝者側と敗者側の一次史料による認識の差異」について論じられていますが、まず10月20日付の加藤清正の家臣の吉村橘左衛門尉宛の鍋島直茂書状が取り上げられ、その記載内容について、次のようにまとめられ…
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旅行記220 日本文学探訪127 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行15 瀬戸内寂聴さんの実家・記念碑「い…

先月24日、阿波おどり会館から南に歩き、瀬戸内寂聴さんの実家である仏壇屋の前を通ってから、新町川沿いにある寂聴記念碑を見に行きました。記念碑の建っているあたりは、寂聴さんが子供の頃に遊んだところだそうです。記念碑は「いっちょら」と名付けられており、彫刻家の流政之氏の作品です。「いっちょら」は徳島弁で一番の晴れ姿の意味で、関西では「い…
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石田三成の実像2834 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」2 天正20年1月付の高麗国宛豊…

徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、天正20年(1592)1月付の高麗国宛豊臣秀次禁制が掲載され、次のように解説されています。  「天正20年の正月、秀吉によって作成された高麗国宛の禁制。禁制とは、戦地や駐屯地における味方軍勢の狼藉行為を禁ずるものであり、戦国期の国内戦争でも各地…
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旅行記219 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行14 眉山ふもとの寺町・湧き水の錦竜水、春日井・瀧薬師

 眉山は徳島駅の西にありますが、ふもとの阿波おどり会館からロープウェイが出ています(その時は運休。眉山山頂へは拙ブログで前述の通り、前日に車で山頂まで行きました)。24日は会館のところから山麓沿いに北に寺町界隈まで歩きましたが、文字通り寺や神社がたくさん並んでいます。ここに寺社を集めたのは江戸時代、藩主だった蜂須賀家です。   眉山の…
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石田三成の実像2833 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」20 実戦状況に関する白峰氏の考察11 戦い…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、白峰氏が担当されている「第四章 江上八院の戦いの実戦状況」の中で、立花勢の「小野和泉が申し上げた覚」にある「立花勢が十二備の敵勢のうち九備まで打ち崩した」という記述について、中西氏の疑義が次のように紹介されています。  「柳川合戦では、もっぱら立花側の編纂史料…
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旅行記218 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行13 阿波木偶資料館・新町川沿い・ひょうたん島の形をした中州

  先月24日、ホテルをチェックアウトしてから、徳島駅前のコインロッカーに荷物を預け、まず歩いて十分程の距離にある、あわぎんホール内の「阿波木偶(でこ)資料館」を見学しました。「阿波木偶」と呼ばれる人形浄瑠璃の人形や衣装、小道具類などが多数展示されていました。淡路島の人形浄瑠璃に似ていると思ったら、徳島に人形浄瑠璃が入ってきたのは、蜂須…
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石田三成の実像2832 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」1 天正20年1月付の増田長盛…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の中で、天正20年(1590)1月付の増田長盛宛豊臣秀次朱印状が掲載され、次のように解説されています。  「豊臣秀次は秀吉の姉の子にあたり、秀吉の養子となっていた人物である。本文書が発給される前年の天正19年(1589) に、秀次は秀吉から関白の職と…
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旅行記217 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行12 車で眉山山頂へ・モラエス像、洋風あずまや「ガゼボ」、…

 先月23日、淡路島めぐりの後、徳島に戻り、眉山の山頂に行きました。ロープウェイは運休していたので、車で上がりました。山頂には、モラエス像、洋風あずまやである「ガゼボ」などがあり、290メートルの高さから市街地や瀬戸内海、山々を望むことができます。徳島城跡のある城山は随分低く見えます。  ポルトガル人のモラエスは神戸・大阪で領事を務め…
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石田三成の実像2831 中西豪氏・白峰旬氏「最新研究 江上八院の戦い」19 実戦状況に関する白峰氏の考察10 圧倒…

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、白峰氏が担当されている「第四章 江上八院の戦いの実戦状況」の中で、立花勢の小野和泉守、立花吉左衛門、十時源兵衛が後日申し上げた「覚」に基づいて、この戦いの戦闘状況が復元されていますが、そのまとめとして、次のように解説されています。 「立花勢におけるそれぞ…
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旅行記216 オンライン三成会の人々との徳島・淡路島旅行11 三成の子孫の米田文郎氏の元住居・三成の淡路島出身の側…

司馬遼太郎の小説「関ヶ原」の初芽のモデルとされる、淡路島出身の石田三成の側室の子孫の一人に、京大薬学部名誉教授だった米田文郎氏がおられましたが、昨年亡くなられました。その住居であった米田家が、洲本市の本町七丁目センター街に残っていますが、今はNPO法人の管理になっており、地域創生や交流の場所として使われています。先月23日に訪ねた…
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石田三成の実像2830 中井俊一郎氏の講演「書状から読み解く三成の人間力」18 まとめとして  三成を否定的に評価…

中井俊一郎氏による講演会「書状から読み解く三成の人間力」のまとめとして、次のようなことが挙げられていました。 「後世の逸話評価ではなく、同時代の書状から、三成の実像、その人間力を考察した」  「同時代書状から、三成の『人間力』を肯定的に評価可能な書状を多く指摘することができる」  「ただし今回評価の対象にしたのは、三成自身または三…
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