京都探訪313 「京都の若冲とゆかりの寺」展 仏教思想を具現化した、芸術性の極めて高い宗教画

京都高島屋で開催中の「京都の若冲とゆかりの寺」展を見に行ってきました。先週の木曜、毎日放送の番組「ちちんぷいぷい」で紹介され、20日までと聞いて、最終日に行きましたが、人気の画家の展覧会とあって混みあっていました(この後、大阪、東京、横浜と巡回されます)。細見美術館、若冲の菩提寺である宝蔵寺や、相国寺、金閣寺、銀閣寺など八ヶ寺が所蔵す…
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石田三成の実像2800 中井俊一郎氏の講演「書状から読み解く三成の人間力」3 真田信幸宛書状2 慶長2年のものと推…

昨年11月3日に三成の生まれ故郷である長浜市石田町で行われた「三成祭」の際の中井俊一郎氏による講演会「書状から読み解く三成の人間力」で、真田信幸宛書状三通が取り上げられていましたが、二通目として8月20日付の書状について解説されていました。  「(大意訳)先日は書状をいただき、早々に御返事すべきところ、御使者が見られたように路地の途中…
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音楽探訪37 京都コンサートホールの「おんがくア・ラ・カルト 『華ひらくチェンバロ演奏』」 濱田あやさんの優雅な演奏

  17日、京都コンサートホールのコンサート「おんがくア・ラ・カルト」を聴きに行ってきました。今回は濱田あやさんによるチェンバロ演奏でしたが、そのバロック調の優雅な音色に酔いしれました。アンコールで、「オーバー・ザ・レインボー」の編曲を演奏されましたが、濱田さんは芦屋市の出身で、阪神・淡路大震災25年の日ということもあって、思いを込めた…
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石田三成の実像2799 中西豪氏・白峰旬氏の「最新研究 江上八院の戦い」3 立花宗茂発給の感状に関する白峰氏の考察3

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、白峰氏が担当されている「江上八院の戦いについての立花宗茂発給の感状と軍忠一見状」の中で、立花宗茂が12月2日付で発給した感状のうち、着到文言がある感状(残存する30例の感状のうち15例)の一例が挙げられ、次のように現代語訳されています。  「この度(た…
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京都探訪312 舎人親王が祭神の神足神社・そばの勝竜寺城の土塁、空堀跡・藤孝が改修し、神足屋敷(城)も城内に取り込む

 山崎の合戦の際、明智光秀が本陣を置いたとされる恵解山古墳から引き返し、勝竜寺城公園を経て、長岡京駅に戻りましたが、その途中、神足(こうたり)神社に寄り、お参りしました。  神足神社の祭神は、天武天皇の子の舎人(とねり)親王と云われています。舎人親王は「日本書紀」を編纂した人物として有名ですが、淳仁天皇は舎人親王の子です。淳仁天皇は、…
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石田三成の実像2798 中井俊一郎氏の講演「書状から読み解く三成の人間力」2 真田信幸宛書状1

 昨年11月3日に三成の生まれ故郷である長浜市石田町で行われた「三成祭」の際の中井俊一郎氏による講演会「書状から読み解く三成の人間力」で、真田信幸宛書状三通が取り上げられていましたが、まず次の書状について解説されていました。  「(大意訳)書状拝見、承りました。このところ御城番にて宿へ帰ることもなく、御意を得ることもできませんでした。…
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京都探訪311 勝竜寺城の西側の沼田丸跡・細川藤孝夫人の麝香は沼田氏の出身・ガラシャの自害の翌年キリスト教入信・ガ…

 勝竜寺城公園の西側の駐車場のあたりは、沼田丸があったところ(本丸の西側にあった曲輪になります)で、細川藤孝の妻の麝香(じゃこう)が沼田氏の出身であったところから、名付けられました。藤孝と麝香との間に生まれたのが忠興ですが、忠興夫人のガラシャが自害した翌年、麝香もキリシタンとなり、マリアという洗礼名を与えられます。麝香の入信は、ガ…
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石田三成の実像2797 高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」5 「…

  高橋陽介氏の書評報告「本多隆成氏『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』」(『地方史研究』398号、2019年)の中で、通説通り小山評定があったとする本多氏の見解と、小山評定は創作だとする白峰旬氏の見解の相違について、「2015年本多論文以降、その論点はおおむね二つにしぼられている」として、まず一点目として白峰氏の「福島正…
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石田三成の実像2796 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」8 年貢米の運搬費用を出す 年貢率の決定の仕方

 昨年11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、成菩提院所蔵の成菩提院村掟書の条文の現代語訳を一つずつ見ていって解説されていましたが、その続きです。  「第十二条 年貢米の上納について  年貢上納については、一石について二升の口米を出す。俵は二重にして、五里以内…
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京都探訪310 恵解山古墳 五世紀前半の前方後円墳・山崎の合戦の際、明智光秀が本陣を置いたとされるところ

 5日、勝竜寺城公園からさらに十数分程南に歩いて、恵解山(いげのやま)古墳へ行きました。ここは山崎の合戦の際、明智光秀が本陣を置いたところとされています。史料には「御坊塚」という名前で出てくるのですが、それは恵解山古墳のさらに南にある境野一号墳という説もあるものの、恵解山古墳という説が今は有力のようです。  光秀はこの場所で陣頭指揮を…
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石田三成の実像2795 中西豪氏・白峰旬氏の「最新研究 江上八院の戦い」2 立花宗茂発給の感状に関する白峰氏の考察2

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)の、白峰氏が担当されている「江上八院の戦いについての立花宗茂発給の感状と軍忠一見状」の中で、立花宗茂が12月2日付で立花家家臣の佐田清兵衛尉に発給した感状が、一例として挙げられ、次のように現代語訳されています。  「この度(たび)の江上表における一戦の時に、佐田清…
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京都探訪309 勝龍寺城公園3 藤孝と光秀は本能寺の変までは親密・石垣の遺構・山崎の合戦後、城の北門から光秀は逃亡

細川藤孝が、信長によって勝竜寺城の城主に任じられたのは、元亀2年(1571)のことであり、藤孝は城を整備しますが、藤孝は天正9年(1581)、丹後に転封になります。その翌年、本能寺の変が起こりますが、細川藤孝・忠興は、光秀の味方をせず、藤孝は剃髪しますし、家督を忠興に譲ります。それまで、藤孝と光秀の関係は親密だったことが、資料館の映像で…
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石田三成の実像2794 勝竜寺城公園2 三成の軍勢がガラシャを自害に追い込んだとするのは誤り・忠興とガラシャとの…

 勝竜寺城公園の模擬櫓のような建物が資料館になっているのですが、館内で流れていた映像は、忠興と玉の夫婦の仲むつまじさが強調され過ぎているような気がしました。確かに、勝竜寺城で新婚生活を送った時代は幸せだったものの、光秀が本能寺の変を起こして謀反人となった後は、玉は謀反人の娘の烙印を押されますし、忠興は独占欲が強く嫉妬深い人物であり、ガラ…
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石田三成の実像2793 中井俊一郎氏の講演「書状から読み解く三成の人間力」1 「人間力」の定義

昨年11月3日に三成の生まれ故郷である長浜市石田町で行われた「三成祭」の際の中井俊一郎氏による講演会「書状から読み解く三成の人間力」ですが、まずこの講演会の要旨として次のように述べられていました。  「三成の人柄を知る逸話は多いが、確かな史料から裏付けられるものは、ほとんどない」  「そこで三成が生きた同時代の書状のみから、その人間…
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音楽探訪36 京都新祝祭管弦楽団の演奏会・プラハでの「東日本大震災復興支援特別演奏会」の際の支援に感謝の意を込めて

 長岡京記念文化会館での京都新祝祭管弦楽団の演奏会を聴きに行ってきました。「サンクスコンサート」と題するもので、昨年3月にプラハで開催した「東日本大震災復興支援特別演奏会」の際に支援や共演をしてもらった音楽家たちを招いて開かれましたが、第一部から第三部まである、全3時間に及ぶコンサートでした。 大阪府立住吉高校の元同僚でチェロ奏…
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石田三成の実像2792 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」7 「目安」(直訴)を認める

 昨年11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、成菩提院所蔵の成菩提院村掟書の条文の現代語訳を一つずつ見ていって解説されていましたが、その続きです。  「第九条 徴発物資について  糠(ぬか)や藁(わら)などにいたるまで、所用あって代官より上納を命じた場合に、も…
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大阪探探145 上方漫才師の東京進出や漫才の持ち時間の少なさを憂う・大阪で漫才を究める人々 

 年末年始は、上方漫才の番組をよく見ていますが、一組の漫才時間が三、四分程しかないのが、いつも物足りなく思っています。真夜中に放送していた毎日放送の「オール・ザッツ漫才」は一組一分の持ち時間しかなく、それで会場の人などの投票によって、準決勝、決勝へと駒を進めるという仕組みです。これでは多分にコント的、一芸的になって、まともな漫才はできな…
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石田三成の実像2791 谷口徹氏の講演「石田三成と十三ヶ条掟書」6 農民の離村や他村からの逃亡人を召し使うことを禁止

昨年11月24日に米原市柏原の成菩提院の本堂で行われた谷口徹氏の講演会「石田三成と十三ヶ条掟書(おきてがき)」の中で、成菩提院所蔵の成菩提院村掟書の条文の現代語訳を一つずつ見ていって解説されていましたが、その続きです。  「第七条 農民が奉公人や町人になって離村することの禁止について  小田原の陣以降、百姓が村を離れて奉公人・町人に…
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酒樽を割るのは、「鏡開き」ではなく、「鏡抜き」 大阪探訪145 元日は白みそ仕立て、二日目以降はすまし仕立ての雑煮

樽を割って出演者がみなで分け合って飲む場面が、正月番組でよく出てきていましたが、それを「鏡開き」や「鏡割り」と呼ぶのは、本来間違いだということを、毎日放送の番組「コトノハ図鑑」で明らかにされていました。「鏡開き」や「鏡割り」は、鏡餅を割る時に使用する言葉で(「鏡割り」というのは縁起が悪いので、専ら「鏡開き」と呼ばれています)、酒樽を割る…
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石田三成の実像2790 中西豪氏・白峰旬氏の「最新研究 江上八院の戦い」1 立花宗茂発給の感状に関する白峰氏の考察1

中西豪氏・白峰旬氏の共著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)は、慶長5年(1600)10月20日に、龍造寺氏・鍋島氏と立花氏との間で起こった江上八院の戦いについて、中西氏は龍造寺氏・鍋島氏側から、白峰氏は、立花氏側から論じたものです。  関ヶ原の戦い(実際は山中の戦いだったというのが白峰氏の見解ですが)が起こったのは、…
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