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関ヶ原の残党、石田世一の文学館
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石田三成の実像2551 白峰旬氏「『伊勢国津 城合戦頸注文』に関する考察」15
  白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学研究会『史学論叢』第48号)の中で、津城合戦に関係する一次史料として、慶長6年10月12日付の毛利元倶宛毛利輝元書状が取り上げられていますが、その内容について次のように解説されています。  「昨年(慶長5年)の津城合戦の時に、毛利元倶が先手を心掛けたことを各自が述べている、... ...続きを見る

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2019/02/20 11:22
石田三成の実像2550 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」14
  白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学研究会『史学論叢』第48号)の中で、津城合戦に関係する一次史料として、慶長3年8月27日付の粟屋元吉宛と思われる毛利輝元書状が取り上げられていますが、その内容について次のように解説されています。  「津城を乗り崩し、敵を悉く討ち果たした各自の手柄を賞している」  「粟屋元... ...続きを見る

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2019/02/19 18:30
石田三成の実像2549 白峰旬氏「『伊勢国津 城合戦頸注文』に関する考察」13
  白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学研究会『史学論叢』第48号)の中で、津城合戦に関係する一次史料として、慶長3年8月27日付の村上武吉・宍戸元真(宍戸景世)・村上元吉・曾祢景房宛毛利輝元書状ど取り上げられていますが、その内容検討の続きです。  「一昨日の8月24日に津城を切り崩した、としている。しかし、この... ...続きを見る

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2019/02/18 10:41
石田三成の実像2548 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」12
 白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学研究会『史学論叢』第48号)の中で、津城合戦に関係する一次史料が挙げられ検討されていますが、その続きです。  慶長3年8月27日付の村上武吉・宍戸元真(宍戸景世)・村上元吉・曾祢景房宛毛利輝元書状について、次のように解説されています。  「この書状の宛所になっている4人は、... ...続きを見る

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2019/02/17 11:29
石田三成の実像2547 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」11
 白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学研究会『史学論叢』第48号)の中で、津城合戦に関係する一次史料が挙げられ検討されていますが、その続きです。  慶長3年8月25日付の楊井春俊宛内藤久太郎書状について、次のように解説されています。  「内藤久太郎については、光成論文の表3『秀元家臣団の兵力内訳』に名前があるの... ...続きを見る

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2019/02/16 11:10
石田三成の実像2546 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」10
 白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学研究会『史学論叢』第48号)の中で、津城合戦に関係する一次史料が取り上げられ検討されています。  まず慶長3年8月25日付の村上三介宛宍戸元次書状について、次のように解説されています。  「宍戸元次は津城合戦における宍戸元次の組頭であり」、「宛所の村上三介は、光成論文表の1... ...続きを見る

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2019/02/15 12:51
石田三成の実像2545 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」9
 白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学研究会『史学論叢』第48号)の中で、「南宮山に配置された毛利勢の兵力数について、光成論文では1万5000程度と推計しているが、この数値は、『片倉景綱宛伊達政宗消息(9月26日頃ヵ)』に1万5000ばかり(『もりさいしやう、わつか一まん五千計の人しゆにて、大かき南の山へうちいて候... ...続きを見る

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2019/02/14 11:15
三成の実像2544 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」8
 白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学研究会『史学論叢』第48号)の中で、「伊勢国津城合戦頸注文」の表をもとに、津城合戦における毛利家の軍事力編成について作図されています。  その図では、吉川広家勢、毛利秀元組、毛利元政組、宍戸元次組、福原広俊組、安国寺恵瓊組、渡邊長組に分けて、それぞれの組に属する人物名が記載さ... ...続きを見る

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2019/02/13 11:06
三成の実像2543 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」7
 白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学家研究会『史学論叢』第48号)の中で、慶長6年の吉川広家自筆覚書案や8月10日付の益田元祥宛毛利輝元書状の記述から、次のような点が指摘されています。  「津城合戦、南宮山布陣の時点において、現地での毛利氏の軍勢の最高指揮官(豊臣公儀から派遣された軍監としての立場も兼任した)は... ...続きを見る

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2019/02/12 11:11
石田三成の実像2542 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」6
 白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学家研究会『史学論叢』第48号)の中で、慶長6年の吉川広家自筆覚書案の津城合戦関連の記述から、次のような点も指摘されています。  「津城合戦の結果、吉川広家の軍勢は手負や討死した者が多数出たため、軍勢の人数が半分になった、としている」「『伊勢国津城合戦手負討死注文』を見ると、津... ...続きを見る

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2019/02/11 11:08
三成の実像2541 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」5
 白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学家研究会『史学論叢』第48号)の中で、慶長6年の吉川広家自筆覚書案の津城合戦関連の記述から、まず次のように指摘されています。  「奉行衆が相談して吉川広家の伊勢への出陣が決定し、その時期として伏見城攻撃の段階であった、としている。伏見城の包囲開始が7月19日であり、伏見城が落... ...続きを見る

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2019/02/10 21:25
三成の実像2540 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」4
 白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学家研究会『史学論叢』第48号)の中で、安国寺恵瓊は大名ではなかったとする津野倫明氏の見解について、「文禄の役の陣立書に安国寺恵瓊に関する記載がないこと、恵瓊には継嗣がいないこと」が挙げられています。また「津城合戦の頸注文に『安国寺与力』として記された4名について、津城の攻防にお... ...続きを見る

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2019/02/09 00:03
三成の実像2539 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」3
 白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学家研究会『史学論叢』第48号)の中で、「毛利家の軍事力編成についての先行研究による指摘も考慮しながら、津城合戦における毛利家の軍事力編成について検討」され、次のように指摘されています。  「津城合戦における毛利家の軍事力構成は、毛利一門組(宍戸元次組、毛利元政組)、安国寺恵瓊... ...続きを見る

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2019/02/08 17:23
三成の実像2538 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」2
 白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学家研究会『史学論叢』第48号)の中で、「伊勢国津城合戦頸注文」の内容が詳細に論じられていますが、このうち安国寺恵瓊が8月25日付で増田長盛・堅田元慶に宛てて発給したものについては次のような点が指摘されています。  頸取りを行なった者(毛利勝永以外)は、「『広島分限帳』に記載が... ...続きを見る

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2019/02/07 11:46
三成の実像2537 白峰旬氏「『伊勢国津城合戦頸注文』に関する考察」1 
 白峰旬氏の「『伊勢国津城合戦頸注文』及び『尾張国野間内海合戦頸注文』に関する考察ー津城合戦(慶長5年8月)における毛利家の軍事力編成についての検討」(『別府大学紀要』第59号・『別府大学大学院紀要』第20号・別府大学史学研究会『史学論叢』第48号)では、「伊勢国津城合戦頸注文」を中心に内容が詳細にわたって検討され、津城合戦における毛利家の軍事力編成について考察されています。  津城合戦については、「三重県史」の「津城攻防戦」の記述をもとに次のように紹介されています。  「『伏見城落城後西軍... ...続きを見る

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2019/02/06 10:48
三成の実像2536高橋陽介氏「豊臣秀吉の死去は朝鮮在陣の島津義弘らにどのように伝わったのか」30
 高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ@ 豊臣秀吉の死去は朝鮮在陣の島津義弘らにどのように伝わったのか」の中の、「Lおわりに、通説に関するQ&A」で、小早川秀秋と三成について、「小早川秀秋は、第一次蔚山合戦において、総大将であるにもかかわらず先陣として突撃し、石田三成の讒言にあい、豊臣秀吉に叱責され、越前へ改易となったのですか?」という質問に対して、次のように回答されています。  「第二次朝鮮攻めの総大将であった小早川秀秋には、役料として臨時に筑前の領地が与えられていましたが、... ...続きを見る

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2019/02/05 17:11
三成の実像2535高橋陽介氏「豊臣秀吉の死去は朝鮮在陣の島津義弘らにどのように伝わったのか」29
 高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ@ 豊臣秀吉の死去は朝鮮在陣の島津義弘らにどのように伝わったのか」の中の、「Lおわりに、通説に関するQ&A」で、慶長の役で「戦線縮小案を提案した朝鮮在陣の諸将は、なぜ全員処罰あるいは叱責されなかったのですか」という質問に対して、次のように回答されています。  「この時にかぎり、戦線縮小案を提案したことによって、処罰をうけたものはいませんでした。処罰(あるいは叱責)の対象となったのは、豊臣秀吉の許可をえずに蔚山・順天・梁山の破却を指示した早川... ...続きを見る

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2019/02/04 10:29
三成の実像2534 高橋陽介氏「豊臣秀吉の死去は朝鮮在陣の島津義弘らにどのように伝わったのか」27
 高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ@ 豊臣秀吉の死去は朝鮮在陣の島津義弘らにどのように伝わったのか」の中の、「Lおわりに、通説に関するQ&A」で、三成と家康とが対立していたということについて否定的な見解が述べられています。  「五大老の筆頭である徳川家康と、五奉行の筆頭である石田三成は対立していたのですか?」という質問に対して、最初に次のように回答されています。  「まず、『五大老』というのは学術用語で、同時代史料において徳川家康・前田利家・宇喜多秀家・上杉景勝・毛利輝元... ...続きを見る

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2019/02/03 10:49
三成の実像2533 高橋陽介氏「豊臣秀吉の死去は朝鮮在陣の島津義弘らにどのように伝わったのか」26
 高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ@ 豊臣秀吉の死去は朝鮮在陣の島津義弘らにどのように伝わったのか」の中の、「Lおわりに、通説に関するQ&A」で、三成と加藤清正の関係についても触れられています。  まず「加藤清正は、小西行長の和平交渉を妨害し、石田三成の『讒言』にあい、豊臣秀吉に叱責され、謹慎していたのですか?また、加藤清正は、伏見大地震のとき、豊臣秀吉の救援にかけつけ、謹慎がとかれたのですか?(『地震加藤』のエピソード』)」という質問が取り上げられています。  こういう... ...続きを見る

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2019/02/02 10:37
三成の実像2532 高橋陽介氏「豊臣秀吉の死去は朝鮮在陣の島津義弘らにどのように伝わったのか」25
 高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ@ 豊臣秀吉の死去は朝鮮在陣の島津義弘らにどのように伝わったのか」の中で、「Lおわりに、通説に関するQ&A」の最初に、「このつづき、慶長3年9月以降につきましては、続編『一次史料にみる島津の関ヶ原シリーズA 慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか』にて説明させていただきます」と記されています。  続編に大いに期待していますが、その続編の姿勢について、さらに突っ込んで次のように説明されています。  「『五大老・五奉行制はあっ... ...続きを見る

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2019/02/01 10:44

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