三成の実像2729 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」7「戦争論」での指摘を関ヶ原合戦に当てはめる3

白峰氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)のプロローグで、プロイセンの将校だったクラウゼヴィッツの書いた「戦争論」の記載内容を関ヶ原合戦に当てはめて論じられており、一昨日のブログ記事の続きですが、次のように記されています。  「戦争論」では、「戦争とは独立した事象ではなく、『常に政策のための手段』であるから、この視点から戦史を考察する必要…
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京都探訪294「京博寄託の名宝」展2 俵屋宗達「風神雷神図」・秀吉関連のもの・方広寺の石垣跡

「京博寄託の名宝」展に、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」も展示されていました。建仁寺の所蔵ですが、京博に寄託され、建仁寺にあるのは複製品です。    京博の一階の写真撮影コーナーには、俵屋宗達と尾形光琳の「風神雷神図屏風」の複製が並んで置かれており、その違いを間近で見ることができました。光琳は宗達の「風神雷神図屏風」を約百年後に模写しま…
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受贈御礼 白峰旬氏・中西豪氏「最新研究 江上八院の戦い」 三成の実像2728 白峰氏「新視点関ヶ原合戦」6「戦争論…

白峰旬氏より新著「最新研究 江上八院の戦い」(日本史史料研究会)をご恵贈賜わりました。この場を借りてお礼申し上げます。中西豪氏との共著で、この戦いに関するはじめての研究書です。この戦いについて、一般の人はあまりよく知らないのではないでしょうか。関ヶ原の戦い後一ヶ月余りして起こった、九州での龍造寺氏・鍋島氏と立花氏との戦いです。中西氏は龍…
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京都探訪293「京博寄託の名宝」展1 伝源頼朝像・宝誌和尚立像・伝野々村仁清作の香炉・狩野正信作の図屏風

 先週、京都国立博物館の平成知新館で開催中の「京博寄託の名宝」展を見に行きました。各地の神社仏閣などから寄託されている国宝、重要文化財を中心に約140点展示されていました。3階から1階にかけて見ごたえのあるものがずらりと並んでおり、一通り見て回るだけでも2時間近くかかりました。京都で国際博物館会議が開かれたのを記念して開かれていたもので…
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石田三成の実像2727 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」5 クラウゼヴィッツ「戦争論」での指摘を関ヶ原合戦に当てはめる1

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)のプロローグで、プロイセンの将校だったクラウゼヴィッツの書いた「戦争論」の記載内容を関ヶ原合戦当てはめて論じられていますが、次のように記されています。  「敵国(敵勢力)と武力行使を伴わない政治交渉が行き詰まった場合は、他の政治交渉の形である戦争という手段がとられる」という「戦争論」の指摘を、「…
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音楽探訪34 声楽交友会ベルカントの公演2 喜劇「チェネレントラ」・悲劇「チューダー朝三部作」・「なごり雪」の替え歌

「奈良市ならまちセンター」で行われた、声楽交友会ベルカントの公演ですが、全29曲あり、私の知らない曲もたくさんありました。「シンデレラ」をもとにした、ロッシーニの「チェネレントラ」は、4回に分けて、少しずつ歌われました。面白いのは、ヒロインのお膳立てをするのが魔女ではなくまた魔法も使われず、王子の教育係である哲学者だということ、ヒロイン…
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石田三成の実像2726 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」4 統一国家成立のための戦争・三成の戦後構想・三成が主導的役割…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)のプロローグで、「関ヶ原合戦が、統一国家成立のための戦争であった」という藤田達生氏の見解を立証するものとして、白峰氏は三成の戦後構想を挙げておられます。  すなわち、「石田三成は戦後構想として、家康の領国である関東を制圧したのち、慶長5年(1600)暮から翌6年(1601)春にかけて、関東の仕置…
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音楽探訪33 声楽交友会ベルカントの公演 元同僚の先生の「ローレライ」の独唱

7日のことになりますが、この日は大阪、奈良と回って、夜十時過ぎに宇治に戻ってきました。 午後一時から京阪のなにわ橋駅の地下コンコースの一角にある「アートエリアB1」で、福島克彦氏の講演「明智光秀の拠点、坂本城を探る」があり、それを聴きに行きました。史料に基づいて、光秀の事績、坂本城などについて述べられていましたが、その具体的な講演内容…
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石田三成の実像2725 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」3 慶長5年8月1日の時点では、「反逆」と書けなかった家康

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)のプロローグで、関ヶ原の戦いに勝利するまでは、徳川家康は石田三成・毛利輝元ら豊臣公儀方らの動きを自分に対する反逆とは書けなかったということを示す史料として、慶長5年8月1日付の脇坂安元宛家康書状の中に「上方忩劇」と記されていることが挙げられ、次のように解説されています。  「『忩劇』とは『日葡辞…
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京都探訪292「千總展」と「龍村美術織物展」 京伝統工芸の技と美・進取の精神で生き抜く

8月に京都高島屋で開催されていた「千總展」を、次いで9月にやはり高島屋で開催されていた「龍村美術織物展」を見に行きました。朝日新聞にこれらの展覧会のことが紹介されていたからですが、むろん、京の伝統工芸の技と美の世界を見に行きたいということもありました。  「千總展」は、華麗で繊細な京友禅の着物や、日本画家の岸竹堂や今尾景年が描いた下…
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石田三成の実像2724 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」2 慶長6年1月29日、近衛信尹らが秀頼に拝謁した時の信じられ…

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)のプロローグで、関ヶ原合戦について、次のような指摘がされています。  「豊臣秀吉の後継者である新たな天下人・豊臣秀頼を推戴する政治体制(豊臣公儀)の維持・発展を政治的に遂行しようとした石田三成・小西行長・安国寺恵瓊らと、豊臣公儀体制から政権を簒奪しようとした徳川家康との政治闘争の延長上の戦いであ…
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京都探訪291 吉田家住宅の特別公開2 台所の愛宕神社のお札・北観音山の厄除けちまき・京文化の継承

 吉田家住宅は9月30日まで特別公開されていますが、他にも杉本家住宅、藤野家住宅、旧湯本家住宅も同様に公開されています。  吉田家住宅には、京都の台所ではよく見る愛宕(阿多古)神社の火の用心のお札が貼られていましたし、祇園祭の「北観音山」の厄除けちまきが置かれていました。一番奥には、おくどさん(かまど)がありましたが、今でも使われてい…
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石田三成の実像2723 白峰旬氏「新視点関ヶ原合戦」1 江戸時代の軍記物によって捏造された家康レジェンドが未だに浸透

白峰旬氏の「新視点関ヶ原合戦」(平凡社)は、最近のご論考に加筆・修正を加えられ、新たに執筆されたプロローグとエピローグを付け加えられたものです。ご論考は今まで拙ブログで紹介させていただいたものも多く含まれています。  たとえば、この本の第1章は、「豊臣七将襲撃事件(慶長3年閏3月)は『武装襲撃事件』ではなく単なる『訴訟騒動』であるー…
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京都探訪290 吉田家住宅の特別公開 風の通りをよくする部屋の配置と土間の通り庭  

「京の夏の旅」の文化財特別公開中の吉田家住宅の見学に行ってきました。祇園祭の「北観音山」の町内に建っていて、昭和26年まで白生地問屋として営業されていました。店舗は新町通に面していました。  店舗の奥に中庭があり、中の間、奥の間(床の間がついています)と続き、さらに奥庭があります。風の通りをよくするための造りです。また夏向けにすだれを…
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石田三成の実像2722 高橋陽介氏「慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」48

高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ② 慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」の「⑱慶長4年1月9日、徳川家康は、島津忠恒を少将に任じ、5万石を加増した」の中で、1月9日付の島津忠恒宛五大老連署状、同日付の五奉行が島津忠恒に宛てた「御知行方目録」が取り上げられ、次のように解説されています。  「慶長4…
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旅行記184 小倉旅行18 下関・金子みすゞ詩の小径、顕彰碑、詩の世界と不幸な結婚、西条八十との出会い

  金子みすゞは、山口県大津郡仙崎村(現在の長門市仙崎)の生まれですが、20歳で下関へ移り住み、ここで詩作活動を行います。しかし、期間はわずか五年間でした。不幸な結婚をし、夫の放蕩に悩まされ、詩作も禁じられ、あげくに夫から淋病を移されます。結局、離婚するものの、娘の親権を夫に要求され、絶望のあまりわずか26歳で自殺します。あまりにも可哀…
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石田三成の実像2721 高橋陽介氏「慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」47

 高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ② 慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」の「⑱慶長4年1月9日、徳川家康は、島津忠恒を少将に任じ、5万石を加増した」の中で、同年1月5日付の島津忠恒・立花親成・小早川秀兼・高橋元種・筑紫広門宛寺沢正成書状が取り上げられ、次のように解説されています。  「1月7日…
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旅行記183 小倉旅行17 下関・亀山八幡宮のふくの碑、伊藤博文とふく

 亀山八幡宮の境内に、大きなふくの像があります。日本一のふく像と称されています。今の像は平成になって再建されたもので、最初は昭和9年に作られました。再建されたふく像の除幕式が行われたのは、平成2年9月29日で、文字通り「ふくふくの日」でした。それ以降、毎年9月29日にふぐ解禁に合わせてこの像の前で「ふく祭り」が行われているということです…
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石田三成の実像2720 高橋陽介氏「慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」46

高橋陽介氏の「『一次史料にみる島津の関ヶ原』シリーズ② 慶長4年1月3日付島津龍伯起請文をどのようにとらえるか」の「⑰慶長4年1月3日、島津龍伯は島津忠恒・島津義弘らに起請文をさしだした」の中で、島津龍伯がその起請文を書いた理由について、「島津忠恒による島津本宗家相続をみとめようとしたためである」と指摘され、その理由・背景について次のよ…
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旅行記182 小倉旅行16 亀山八幡宮の砲台跡、伊藤博文と梅子が出会ったお亀茶屋の跡

 下関散策は、壇之浦古戦場址から同じ道を引き返しましたが、途中、亀山八幡宮を訪ねました。赤間神宮、日清講和記念館の南にあります。下関戦争の時、ここに砲台が置かれ、そのことを示す説明掲示板が建っています。長州藩主毛利元周はこの時、八幡宮に参詣しています。外国船が攻撃してきますが、楼門をかすめただけで、社殿にも兵にも被害は出なかったため、「…
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