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zoom RSS 京都探訪18 「弘源寺」2 インドから来た毘沙門天像

<<   作成日時 : 2008/10/16 22:04   >>

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 写真は弘源寺の山門を撮ったものです。特別公開の看板が立っていました。奥に本堂が見えています。弘源寺を創建したのは細川家9代目当主の持之であり、室町幕府の管領職にありました。弘源寺は持之の院号から命名されたものです。1429年の創建と言いますから、応仁の乱の40年程前のことが、応仁の乱を起こした細川勝元は、持之の子供です。持之は将軍足利義教を補佐しましたが、義教は赤松満祐に殺されました。持之は義教の幼い子供である義勝を次の将軍に立て、赤松氏を討伐しました。
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 写真は毘沙門堂を撮ったものです。鈴に隠れたよく見えませんが、正面に掲げられている扁額は弘法大師空海の直筆です。祀られている毘沙門天像はインドの仏師によって作られたもので、中国を経て日本に伝えられ、最初は比叡山の無動寺にありましたが、このお堂に迎えられました。世界の広がりと歴史の奥行きを感じさせる話です。
 上杉謙信が毘沙門天を信仰しており、自分が毘沙門天の生まれ変わりだという話は有名であり、謙信の旗印にも「毘」の字が使われています。毘沙門天は仏法を守る武神であり、北方を守護する北方天です。怒りの形相をして甲冑を着ており、片手に宝塔を、もう片手に宝棒を持っています。福徳を授ける神であり、お寺でもらった小冊子にも、「念願成就の功徳」があると書かれていました。
 毘沙門天と多聞天とは同一の神ですが、多聞天という言い方は、持国天・増長天・広目天と並んで四天王と呼ばれる時に使われており、毘沙門天は単独の神を言う時に用いられています。もっとも、毘沙門天はわが国では七福神の一つになっており、天竜寺七福神というものもあって、弘源院の毘沙門天もその一つに挙げられています。

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