古典文学探訪136 「平家物語」の「木曽の最期」1・源氏対源氏の争い・武光誠氏「平清盛」の清盛観

 1年の古典の授業で「平家物語」の「木曽の最期」を扱っています。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる有名な冒頭部分を中学の授業で扱ったかどうか、生徒に手を挙げてもらって訊いてみたところ、大半が学んでいました。無常観漂う一節であり、かつて授業で冒頭の何行かを一人ずつ暗唱してもらったこともありますが、今回は冒頭部分を取り上げるのは時間的な関係からやめました。また冒頭部分を扱う際は、「平曲」での語りのテープも聞かせてきましたが、今回はこれもひとまずパスしました。後で時間があれば、テープを流すつもりですが。もっとも、冒頭部分の「平曲」は非常に間延びしており、一行読むのもひどく時間がかかり、生徒の笑いを誘うのがオチです。「平家物語」は琵琶法師によって語り伝えられてきた語り物です。
 「平家物語」は平家一門の栄枯盛衰が書かれている軍記物語であり、「木曽の最期」は文字通り、木曽義仲が討たれる箇所ですが、ここは平氏対源氏ではなく、源氏対源氏だということ、及びここに至る経緯を説明しました。教科書にも本文の前に数行のあらすじが載っています。
 「平家物語」の冒頭に「おごれる人も久しからず」という一節があるように、栄華を極めていた平家一門も、清盛の死によって、没落の一途をたどりますが、こういう「平家物語」の見方は一面的なものかもしれません。
  武光誠氏の「平清盛 天皇に翻弄された平氏一族」(平凡社新書)の中で、清盛はわがままな権力者ではなく、皇室や貴族に細かい気遣いをして実直な人物であり、教養も高く、配下の者にも優しく接したため、多くの者に慕われたと書かれています。来年の大河ドラマ「平清盛」では清盛はどのような人物として描かれるのか楽しみです。
木曽義仲は倶利伽羅峠で平家を破って勢いに乗り、都落ちした平家に代わって、京都に入りますが、次第に横暴を極めます(「平家物語」では田舎者の義仲の姿が描かれていますが、これも実際、どこまで真実なのでしょうか)。後白河法皇は義仲追討の院宣を、鎌倉にいる源頼朝に下し、頼朝は義経と範頼を義仲討伐に差し向けます。義経は義仲を宇治川の戦い、ついで京の六条河原で破ります。義仲は大津の打出の浜で最後の戦いに挑みます。
 ここから教科書に本文が載っていますが、ここも他の教材を取り上げる時間の関係上、ニページほど省略しました。省略したところを簡単にまとめると、次のような内容です。
 木曽義仲は大音声を上げて名乗り、3百余騎で6千騎に向かっていきます。敵とさんざんに渡り合い、木曽軍は50騎に減りますが、さらに分け入って戦ってゆくうちに、とうとう主従5騎になります。
 その中に義仲の愛人の巴御前も交じっていました。アマゾネス並みの勇ましい女性です。義仲は彼女に「自分はここで自害しようと思うが、おまえはどこへでも行け。女を最後のいくさに伴っているのもよろしくないから」と言いますが、彼女はそばから離れません。しかし、何度も言われるものですから、彼女は「最後のいくさをお見せ申し上げよう」と言って馬を引きとめて待ち構えていると、武蔵の国の怪力の持ち主、御田八郎を見つけ、彼を馬から引き落とし、首をねじ切って捨ててしまいます。彼女はその後、鎧・兜を脱ぎ捨てて東国へ落ちていったと書かれています。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック