奈良探訪3 古典文学探訪155 「大和三山登山と藤原宮跡散策」2 犬養孝氏「万葉の旅」・醍醐町環濠址

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 写真は藤原宮跡に咲いていたコスモスの花畑を撮ったものです。遠く向こうに見えているのが、耳成山の次に目指した天の香具山です。ここに来るのは藤原京遷都1300年に合わせて行われた「ロマントピア藤原京95」のイベントで来て以来のことですから、もう17年も前のことになります。11月3日・4日に行われるイベント「藤原京ラビリンス」(巨大迷路)に向けての準備作業が進められ、草取りも行われていました。
 藤原宮跡の木碑には「藤原宮跡は694年から710年まで日本の首都であった。藤原京の中枢をなす宮殿の遺跡。約1キロメートル四方の規模の藤原宮には、天皇が居住する内裏、政事と儀式の場である大極殿院・朝堂院のほか、さまざまな役所が立ち並んでいた」と書かれています。
  犬養孝氏の「万葉の旅」には、「藤原宮」の項に次の歌が出ています。
 「藤原の大宮仕へ生(あ)れつぐや処女(をとも)がともは羨(とも)しきろかも」
 この歌は藤原宮の「井泉に中心をおいて宮の永遠をことほぎたたえた(長)歌の反歌」であり、「水をくむのは古代から女性の仕事であって、宮仕えの若やかな采女(うねめ)たちが嬉々として立ちうごく井泉の実景をとらえ、今後とこしえに生まれついで奉仕するであろう采女たちへの羨望をうたうことによって、宮ぼめの心をあらわしたものである」と説明されています。
 昨日拙ブログで取り上げた耳成の池の歌も「万葉の旅」には掲載されていますし、耳成山の影をうつ池の写真も載っています。高校の古典の授業で「万葉集」を教材として扱った時は必ずといっていいほど、犬養孝氏が独特の節をつけて万葉集の歌を歌う、いわゆる「犬養節」のテープを流して万葉の世界を生徒たちに味わってもらいましたが、「犬養節」を知らない若者たちが増えてきているのは、なんとも寂しい限りです。
 藤原宮跡に来る前に、醍醐町環濠址の前を通りました。耳成の池の横から南に向いて歩き、近鉄大阪線、さらにJR桜井線を越えると、醍醐町環濠址に行き着きます。
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 写真はその醍醐町環濠址を撮ったものです。 この説明掲示板には、「大和盆地の村落は、鎌倉時代から室町時代にかけて、、時には反発したり、地方豪族等の争を避けるために、次第に自衛の手段を講じ、百姓仕事の傍ら武装体勢をとるようになった。彼等は全村民協力して村落の周辺に二間幅位の溝を掘り、内側に土居を盛り上げて竹木を植え、外部からの侵入を防いだ」と書かれています。
 その前日に訪ねた寺内町今井も、中世の環濠集落を母胎としています。
 
 

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