石田三成の実像1191 忍城の水攻めを題材にした自作短歌1 中井俊一郎氏の見解に拠って

 水攻めを思ひ付きしは三成と通説通りに映画描かる
 水攻めを命令せしは秀吉と当時の書状より確かめられぬ
 高低差あまりなき地を水攻めにするのは難しと三成知らずや

 忍城の水攻めを題材にした歌を何首か作りましたが、そのうちの3首を紹介します。1首目の「映画」とあるのは、もちろん、「のぼうの城」です。この映画に触発されて水攻めに関する歌を作る気になりました。むろん、映画に描かれていることは史実ではないという思いに駆られてのことですが。この種の歌は詠んだことがありますが、新たな気持ちで作りました。3首とも忍城の名前は入れていませんが、水攻めはキーワードなので、いずれの歌にも入れています。
 忍城の水攻めを思い付いたのが、通説で言われているように三成ではなく、秀吉だという見解を最初に示されたのは、中井俊一郎氏です。オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)でも中井氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)でもその見解が示されています。
 また太田浩司氏の「近江が生んだ知将 石田三成」(サンライズ出版)の中で、「中井俊一郎氏は、水攻めの戦略決定が秀吉によって行われたと指摘し、忍城攻めは備中高松城攻めに習った、秀吉流の派手な演出ではなかったかと推測されている」と記されています。白川亨氏の「真説 石田三成の生涯」(新人物往来社)でも、中井氏の見解が紹介され、賛意が示されています。
 私の作った歌は、中井氏の見解に拠るところ大ですが、1首目は映画「のぼうの城」が通説通りに三成が思いついたものとして描かれていることを詠んだものです。そのことを残念だという気持ちは歌には直接的に詠んでいませんが、「通説通りに」というところに、そういう気持ちを込めたつもりです。
 2首目の「当時の書状」として、中井氏が挙げられているのは、6月12日付の秀吉書状、13日付の三成書状(浅野家文書)、20日付の秀吉朱印状(埼玉県立博物館蔵文書)書状などです。このうち、13日付の三成書状については、中井氏の「三成からの手紙」に全文と現代語訳が掲載されています。20日付の秀吉朱印状については、太田氏の「近江が生んだ知将 石田三成」の「古文書釈文集」に全文が掲載されています。、
 3首目は最後「知らずや」となっていますが、多分に反語的であり、「知らなかっただろうか、いや知らなかったはずはない」という意味合いです。三成が本陣を置いた丸墓山の上に立てば、このような平坦な地を水攻めにするのはいかに困難だということは如実にわかったはずです。この点について、「三成伝説」には、「丸墓山に立ち、忍城を見た三成は、きっと呟いたに違いない。『この城は水では落ちない』と」と記されています。

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