阪神・淡路大震災から20年 当時の1月19日の日記 佐川満男さんの体験談 上沼恵美子さんの怒りに同感

 今朝の毎日放送ラジオの番組「ありがとう 浜村淳」に、襲名したばかりの四代目中村鴈治郎さんが出演していました。この番組には今まで二代目、三代目も出演しており、40年続くこの番組の息の長さを改めて感じました。四代目中村鴈治郎さんが五代目中村翫雀を襲名したのは、阪神・淡路大震災が起きた1995年のことだったと語っていました。中村鴈治郎襲名に関しては、特別番組も放送され、上方歌舞伎隆盛にかける並々ならぬ意欲に感激したのでが、このことについては後述します。
 さて、阪神・淡路大震災のことを記した20年前の日記を紹介することを続けていますが、1月19日の日記は次のように書いています。
 「寝ている間も昼間も何度か軽い余震があり、電車に乗っている時に強い余震が起こってらどうしようとつい考えてしまう。ラジオで佐川満男が体験談をしていたが、東京でたびたび感じた地震とは全く違うものであり、最初は地震とは分からなかったという。彼の言うところによれば、エクソシストの世界であった。奥尻島地震の際、チャリティーコンサートを開いていていい気になっていたと、今回の地震を通じて気づかされ、反省したとも言っていたが、確かに私自身も第三者的に、他人事のように地震を考えていた。関西は地震が少ないから安心だ、それに対して東京や東海地方は近い将来、大地震が起こるから気の毒だなどとおごっていたきらいがある。
 淡路島出身の上沼恵美子が地震の起こったその日に、東京のテレビ局が首都圏で同規模の火災が発生したらどうなるかをシミュレーションしていたその無神経さと、それをそのまま関西で放送する大阪のテレビ局の思いやりのなさに腹を立てていたが、自分も同じ番組をたまたま見ていて同じことを感じた。現にたくさんの人々が苦しんでいるのに、それをうちやっておいて、東京のことを心配するのはあんまりな態度だ。救出作業が落ち着いてからなら、いくらこの種のことをやってもらっても結構なのだが。ここにも東京中心主義がはびこっている。
 死者は3000人を超えた。村山首相が初めて被災地を訪れたが、国の対応は実に遅い。自衛隊もすぐには動き出さなかった。(後略)」と。
 日記を改めて見て、この当時から東京中心主義に批判の念を持っていたことを再認識しました。当時、関西では地震が起こらないと考えていたのは私だけではなく、多くの関西人はそう考えていたのではないでしょうか。私自身、秀吉時代に伏見大地震が起こったことを知っていても、現代にはそういうことは起こらないと無邪気に思っていました。しかし、大震災を経験した今やそういう感覚はなくなり、ほとんどの人は来たるべき南海トラフ大地震に対してなんらかの備えをしているはずです。
 自衛隊がすぐに動かなかったのは、自衛隊への出動要請がなかったからであり、自衛隊には責任はありませんし、出動してからの精力的な活動ぶりには頭が下がりました。
 

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