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zoom RSS 石田三成の実像1363 伏見大地震後の雨  阪神・淡路大震災から20年 当時の1月24日の日記 

<<   作成日時 : 2015/01/24 00:07   >>

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 三成も経験した伏見大地震が起こったのは、文禄5年(1596)閏7月13日の深夜のことですが、寒川旭氏の「秀吉を襲った大地震」(平凡社新書)には、「18日に強い風が吹き、まとまった量の雨が降ったことは確かで、夜には強い余震があった」こと、18日に「台風が近くを通過した可能性が高」いことなどが記されています。その典拠として、「言経卿記」、「孝亮宿禰日次記」、「義演准后日記」が挙げられています。この時、雨による二次災害もあったのではないでしょうか。阪神・淡路大震災の時は、雨が降ったのは5日後の22日のことであり、拙ブログ記事で二次災害を心配したその時の日記の記述を紹介しました。
 さて、20年前の今日、1月24日の日記に次のように記しています。
 「(前略)通常国会が始まったが、村山首相は地震が起こった際に政府の対応の遅れはなかったと答弁し、非を認めようとしない。外国の報道でも厳しく指摘されているのに、保身をはかることのみに汲々としている。これでは犠牲者は浮かばれない。国会を休会にして地震対策に専念せよとの新進党の提案(このことの是非はともかくとして)に対して、自民党森幹事長は『われわれに神戸へボランティアに行けと言うのか』と開き直ったが、この発言そのものに政治家の傲慢さがおのずと表れている。自分たちは一般庶民とは違うんだ、政治を行うという高い立場にいるんだという意識が見えて仕方がない。森発言を逆手に取って『そうだ、みんなしてボランティアへ行け』と言いたい。
 避難民と一緒に泊まり込んで、みんなの傷みを知れと言っていたのは笑福亭つるべだが、被災地を視察してお茶を濁すだけでは、なんの役にも立たない。国民の方にもっともっと近づいてほしいが、期待薄である。国や地方自治体はあてにならず自衛するしかないと、今回の震災でまたもや痛感させられた」と。
 当時は社会党の村山富市氏が首相で、自民党と新党さきがけがそれを支えるという変則的な連立政権でした。森幹事長は森喜朗氏のことで、問題発言を繰り返すのは当時も今も変わっていません。政治家の意識は旧態依然としたままであり、そういう発言を許す政治の土壌というものは、変わることなく今後もずっと続くのではないかという、半ば諦めにも似た気持ちを私などは持っています。
 東日本大震災の原発事故の際も菅首相の対応が問題だったと言われていますが、そういう点では阪神・淡路大震災の教訓が生かされていないと云えます。むろん、地震による原発事故は阪神・淡路大震災にはなかったことであり、一律に論じることはできないとは云え、政府・国の危機管理の甘さがいずれの場合にも如実に表れています。
 

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