京都探訪231 京大北部グラウンド 自作短歌の周辺29 今はない?北部構内からの抜け道・友の下宿

画像
 写真は京大の北部グラウンドを5月28日に撮ったものです。大学時代からの友人N君と共に、吉田山の「茂庵」で昼食を取った後に訪れました。在学当時は砂のグラウンドであり、教養部の体育の授業の際、使用したことがあります。今は芝生のグラウンドであり、周りがトラックになっています。いろいろな部が活動していました。
画像
 写真はグラウンドに作られたスタンドを撮ったものです。観戦用、応援用に作られたのでしょう。こういう恵まれた環境で部活動ができる学生たちは幸せだと感じました。 
 北部キャンパスに足を運んだのも何十年ぶりかですが、当時はキャンパスは校舎がそれほどなくもっとゆったりしていた印象があります。われわれは東側の疏水に面した出口から出て、北白川周辺を散策し、再び北の入口から北部キャンパスに戻りましたが、当時は北部キャンパスからグラウンドの近辺を通って、北白川に出る近道がありました。しかし、この近道は卒業して十数年後に来た時にはその近道は見つかりませんでした。抜け道みたいなところだったので、ふさがれてしまったのでしょうか。このことを題材にして次のような歌を詠んだことがあります。
 
 暗闇の中行き慣れし大学の狭き抜け道今は辿れず

 もっとも、今改めてネットで京大構内MAPを見てみると、グラウンドの北に出入り口のようなものが描かれています。これがかつての抜け道と同じ場所なのか、次回訪れた時に確かめたいと思います(今回N君と散策した時は、このあたりは通りませんでした)。
 上の歌を詠んだのと同じような時期に次のような歌も詠みました。

 友の間借りせる家すでに荒れ果てて過去を抹殺されし寂しさ

 今回N君と北白川周辺を回った時もかつてはあった、友達が下宿していた家がどの家だったのかも区別がつかなくなっていました。それほど変貌していました。N君が最後に下宿していた一乗寺までは今回は行く時間的な余裕はありませんでしたが、あのあたりもどうなっているのかも確かめてみたいものです。その一乗寺の下宿は、後に京大法学部に合格した岐阜の従弟が下宿した場所と偶然一緒のところでした(従弟や叔父叔母と一緒に下宿探しに付き添った際、不動産屋の斡旋するところをいろいろ回った末、たどり着いたのがかつてN君が住んでいた下宿であり、本人はじめみんながそこを気に入ったので、そこに下宿しました)。


 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック