桂米朝さん・今いくよさんの追悼番組 忍城を訪ねて聴けなかった「日曜喫茶室」・最期まで漫才師 

 この日曜(5月31日)に、今いくよさんの追悼番組を二本(NHKと朝日放送)を見、桂米朝さんの追悼番組をラジオで二本(「NHKFMの番組「日曜喫茶店」と録音していた先週の「松尾堂」)を聴きました。
 今いくよさんの訃報にはショックを受けましたが、朝日放送の追悼番組では、いくよさんの遺体に業者が死化粧を施したところ、、くるよさんが「これはほんまのいくよちゃんと違う」と言って、いつものテレビ局のメイクの人を呼んできて、トレードマークの「付けまつ毛」を一杯つけ、口紅などの化粧を改めて施したところ、悲しい場で一同の笑いを誘っていたことを、ハイヒールのモモコさんが明かしていました。本人にとっては「嬉しいでしょうね
とぽんちのおさむさんも言っていましたが、同じ思いを持ちました。
 病院での二人の最後の会話について、今いくよさんが看護師さんに呼びかけられた時、本名を答え「28歳」と答えたので、今くるよさんが「ナイスギャグや」と突っ込み、看護師さんが笑い、いくよさんもにこっとしたということを、くるよさんが報道陣の前でしゃべり、「漫才師やねえ」と感想を述べる場面も放送されていました。この話は新聞などでも取り上げられていました。
 二人の漫才が大ブレークするきっかけととなったこととして、くるよさんが自分の腹をたまたまバーンとたたいたところ、それがお客さんに大いに受けたので、そのしぐさを続けるようになったというエピソードや、最初はやすし・きよしさんのところに弟子入りすることになっていたのを島田洋介・今喜多代さんのところに変わった事情についても番組でも話されていました。
 二本の番組とも、二人の漫才を何本か放送していましたが、絶妙な掛け合い漫才の面白さには、泣き笑いしました。くるよさんの衣装も最初はいくよさんと一緒だったものの、それが次第に派手なものになっていき、それを売りにして笑いを取る過程もよくうかがえました。
 一方、米朝さんの追悼番組である「日曜喫茶室」は2003年9月14日に放送されたものの再放送でした。この番組は40年近くほとんど欠かさず聴いていますが、この日は、オンライン三成会のメンバーと埼玉県行田市の忍城跡のある郷土博物館や丸墓山の石田三成本陣跡、石田堤史跡公園などを回っており、「日曜喫茶店」は聴いていませんでした。ちなみに阪神が18年ぶりにリーグ優勝を決めたのはその次の日のことです。その日の放送は聴いていなかっただけに、再放送は自分にとっては新鮮であり、改めて米朝さんの博識ぶりに感心させられました。落語の話だけでなく、埋もれている芸の発掘に取り組んでいることも話していますが、「錦影」(東京で云う、写し絵)の話が特に印象的でした。
 「日曜喫茶室」は東京で収録されていますが、この回だけ大阪に出向いて、収録されていたことも知りました。その日のゲストは藤本義一さんであり、懐かしい藤本節の味わいのある語りも楽しみました。

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