京都探訪283 日本文学探訪123 平八茶屋と漱石3 「門」における描写・拙文「漱石と白百合」3

画像
 写真は平八茶屋を庭のところから昨年4月に撮ったものです。昼食を取ったのは1階の広間であり、ガラス戸越しにテープルが見えています。2階は和室になっているものと思われます。広間のすぐ向こうに高野川が流れており、川の流れを見ながら食事を楽しむことができました。
 朝日新聞に昨月まで連載されていた夏目漱石の「門」にも、平八茶屋が出ていました。
 「門」の主人公宗助は京都帝大の学生であり、親友の安井の恋人だった御米と出会い、彼女を奪う場所も京都という設定になっていました。もっとも、宗助と御米がどういう経緯で結ばれたのかは小説でははっきり描かれておらず、世間に不義を働いた二人のその後の、過去に怯えて暮らす生活が描写の中心になっています。
 「門」における平八茶屋の描写の場面ですが、宗助と安井が「平八茶屋まで出掛けていって、そこに一日寝ていた。そうして不味(まず)い河魚の串に刺したのは、かみさんに焼かして酒を呑んだ」などと記されています。「不味い」というのは小説的な脚色であり、漱石自身は平八茶屋を気に入って複数回行っています。
 さて、昭和50年12月に、同人雑誌に掲載した「白百合と題して」の第2章の「漱石と白百合」の続きです。
 
 「ところが、昨年小坂晋の、漱石の恋人が大塚楠緒子であると論じた『漱石の愛と文学』が世に出た。大塚楠緒子というのは、漱石の友人である東大教授大塚正治の夫人であり、女流作家、歌人、詩人でもあるたいへんな才女である。彼女の作品と、漱石の作品を照らし合わせ、実証的に二人の恋愛関係を論じたのがこの書である。この説によれば、漱石が松山へ中学教師として落ちて行ったのも、彼女の結婚直後であることから説明がつくし、従来難解とされてきた『夢十夜』にも新たな解釈を加えることができる。
 小坂晋は、漱石が楠緒子を百合のイメージをもって描いていると述べている。『それから』にしてもしかり、『夢十夜』にしてもしかり、他の作品にも百合は登場してくる。彼女を百合に結びつける漱石の原体験があったというふうに推定している。
 しかし、肝心なところはわかっていないのが実情である。漱石が保治に彼女を譲ったそのいきさつが、ぼけてしまって判然としない。それを証明する資料を欠いているためであるが、少なくとも、これからの漱石学に新たな視野を開いた意義は大きいと言える。
 大塚楠緒子は、1875年(明治8年)生まれだから、漱石より八つ年下。東京女子師範学校付属女学校を首席で卒業。気が利いてやさしく、体はほっそりとして色白、美貌の持主であった。歌については、16才の折、竹柏園に入門し、佐々木弘綱、信綱父子に教えを受けた。竹柏会は、明治29年に機関誌『いささ川』を、31年2月に『心の華』(のち『心の花』と改題)が創刊される」

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック