関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2338 「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」28 谷徹也氏「総論」28 所領の変遷3

<<   作成日時 : 2018/07/21 10:40   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の、谷氏の「総論 石田三成論」のうち、「領主・代官としての石田三成」の中で、時期ごとに分けて三成の所領と代官所(蔵入地)について、今までの議論も踏まえて論じられていますが、その続きです。
 B「文禄4年」の所領について、「文禄4年7月の秀次事件後に佐和山19万4千石を領し、7万石の代官領と正継の3万石・正澄の1万5千石を合計して30万石と称されたと指摘している」との渡辺世祐氏の見解、「領内統治の関係文書から、その所領は近江国の犬上・坂田・浅井・伊香の四郡に存在したとする」中野等氏の見解が取り上げられています。中野氏の見解は「石田三成伝」(吉川弘文館)に記されていることですが、その「領内統治の関係文書」とは、石田家臣の須藤通光書状で、中野氏の同書には、その書状の原文と、現代語訳が掲載されていますが、現代語訳は次の通りです。
 「態々(わざわざ)申し入れます。今度、佐和山城惣構(そうがまえ)の御普請に伴って、近江四郡の百姓すべてに対して動員を命じられました。ついては、長浜町の住人のなかで少分であっても在方で耕作を行なっている者については、今度の御普請への動員に応じるように、堅く三成が仰っています。もとより(秀吉が長浜町人に対する夫役【ぶやく】)を御免じなさったことは、三成もよく存知のことですが、今度の普請は短期間のことでもあり、例外なく誰であっても雇い出すようにとのことです。柏原方の申し分もありますので、大義でしょうが、長浜町の御宿老衆のなかから二、三人ほど(佐和山への)御越しを願って、詳細について相談するのがよいと思います。そのために態々こうして申し入れています。
 なお、先日は長浜町の上使衆が伏見へ罷り上り、長浜が諸役御免許の地であることを秀吉に訴え出たことについて、三成(治部少輔)も少し立腹しているようですので、町から二、三人ほど御出でいただき、御釈明されたほうがよろしいでしょう。わたしに対し、長浜町のおのおのが気遣いしてくれたことは、柏原彦右衛門へ申し渡しておきます。以上」と。
 文中の「近江四郡」が犬上・坂田・浅井・伊香の四郡に比定されているわけですが、須藤について、中野氏の同書では、「主君三成に代わって美濃国神戸の支配を委ねられた人物で」、「須藤は美濃時代に引き続いて領国支配を代行したのであろう」と記され、「この文書は佐和山城の惣構普請に長浜町人の一部を徴用しようとしたものである」と説明されています。ちなみにこの文書は、佐和山城の惣構の問題、秀吉から夫役を免除されていた長浜町人を三成が惣構普請に出そうとしていたという点などで、よく取り上げられる書状です。

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