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zoom RSS 三成の実像2392「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」82「総論」82 使僧の活用5 

<<   作成日時 : 2018/09/13 10:54   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の「総論 石田三成論」の「豊臣政権の三成」の中で、「使僧の活用」と題して、その実態が考察されていますが、その続きです。
 三成が多くの使僧を活用していた例として、寺内織部の他、「使僧を安全に送り届けるよう、真田昌幸家臣の矢澤綱頼や芦名氏家臣の河原田盛次に対して、依頼をしているのが確認できる」と指摘されています。
 その典拠として、谷氏の同書の【註】には、天正13年10月18日付の三成書状写、天正18年1月13日付の三成書状写が挙げられています。
 天正13年10月18日付の矢澤宛三成書状写については、中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で取り上げられており、この書状の中に「この(書状を携えてきた)使僧は、これから関東へ差し遣わされますので、念入りに送り届けて頂ければと思います」という文言があります。
 谷氏の同書には、「危険な敵地にまで書状を届けた使僧側の目的」についても考察されていますが、次のような例が挙げられています。
 「越前専修寺の空恵は寺領保護の約束を見返りに、身命を顧みずに関東や奥州への使僧として朱印状を届けたものの、三成が奥州仕置に出陣してしまったため、なかなか訴訟が進まないことを嘆いている。すなわち、寺僧側の権益確保の要請に対して、三成は使僧としての活躍を見返りに求めていたのである」と。
 この出典は、谷氏自身の「豊臣政権の訴訟対応ー畿内・近国の村落出訴を中心にー」であることが【註】に記されています。
 その上で、「こうした使僧の活用は戦国期にはよく確認されるものであり、戦国大名が旧来の宗教的な繋がりを用いて情報伝達を行っていた」という相澤秀生氏の指摘が紹介されています。
 寺内織部が使僧から家臣となったことについて、「秀吉の近臣の中には青蓮院坊官の出身とされる大谷吉継や、称名寺住持の子とされる木下吉隆など、坊官や寺家を出自とする人々の存在が確認できる」こと、「本願寺の下間氏の家臣であった益田照従は、本願寺の陪臣でありながら、秀次家臣としても活動している」ことが例として挙げられています。
 このうち、大谷吉継が青蓮院坊官の出身というのは、外岡慎一郎氏の見解であり、拙ブログでも以前取り上げました。上記の本願寺の益田のことについては、太田光俊氏の指摘であることが、【註】に記されています。

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