関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2384「シリーズ・石田三成」74「総論」74 江戸時代の語られ方2 おあむ物語

<<   作成日時 : 2018/09/05 10:31   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の「総論 石田三成論」の「おわり」に、江戸時代以降の三成の語られ方について触れられていますが、その続きです。
 「18世紀初頭の成立とされる『おあむ物語』は、三成家臣の山田去暦の娘が大垣城籠城中の出来事を回想したという内容を持つ。それが事実であるかどうかは不明であるが、他にも正澄右筆の清水少斎のように、佐和山落城時に生け捕りとなって田中吉政に仕えた者もおり、戦いの悲惨さを伝えるための体験談が三成の敗北という具体像で肉付けされ、世間に広く読まれたことは確かである」と記されています。
 「おあむ物語」は、大垣市文化財保護協会発行の「大垣城の歴史」に原文が載っていますが、その最初に次のような記載があります。
 「子供集りて『おあん様、昔物語なされませ』と云へば、『おれが親父は山田去暦というて、石田治部少輔殿に奉公し、近江の彦根に居られたが、その後治部殿御謀反の時、美濃の国大垣の城へ籠りて、我々皆々一所に御城に居ておじゃったが」などと。
 「治部殿御謀反」という表現は、江戸時代は三成が謀反人、悪人として捉えられていたことを示していますが、「彦根」はむろん、佐和山のことです。「おあむ」たち女性たちが大垣城がしていた仕事についても具体的に記されている点で、史料的な価値があります。
 すなわち、「我々母人も、その他家中の内儀、娘たちも、皆々天守に居て鉄炮玉を鋳ました。また味方へ取った首を天守へ集められて、それぞれに札をつけて覚えおき、さいさい首におはぐろを付けておじゃる。それはなぜなりや、昔はおはぐろ首はよき人とて賞翫した。それ故白歯の首はおはぐろ付けて給われと頼まれておじゃったが、首はこわい物ではあらない。その首どもの血ぐさき中に寝た事でおじゃった」と。
 討ち取った首におはぐろを付けていたのは、現代人には凄惨な場面として写りますが、当時としてはどこでも女性たちが普通にしていたことかもしれません。
 大垣城脱出に関しては、次のように記されています。
 「親父ひそかに天守へ参られて、此方へ来いとて、母人・我等をもつれて、北の堀脇より梯子を懸けて、つり縄にて下へつり下げ、さて盥に乗りて堀を向うへ渉りておじゃった」と。
 また臨月の母が、不破郡青野ヶ原の方へ逃げていく途中で娘を生んだということも記されています。
大垣城には、そこから逃げたとされる「おあむの松」の二代目が残っています。

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