関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2386「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」76「総論」76 明治期以降の捉え方1

<<   作成日時 : 2018/09/07 10:33   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の「総論 石田三成論」の「おわり」に、江戸時代以降の三成の語られ方について触れられていますが、その続きです。
 「明治期になると実証主義の台頭のもとで俗説が退けられて三成の人物像は再評価された」と記されています。ようやく三成が正当に評価される時代が来たわけですが、江戸時代に形成された悪い三成像を改めるのは容易ではなく、いまだに陰謀家、冷酷な人望がない人物として捉えられてる小説やドラマが少なくありません。
 谷氏の同書には、「近年では、小倉秀貫氏の研究を見直す動きが高まっている」ということも記されています。このことは、【註】にも載っていますが、谷口央氏の「関ヶ原合戦の位置づけと課題」(谷口氏編『関ヶ原合戦の深層』【高志書院】所収)で触れられており、小倉氏の見解は次のように述べられています。
 「江戸期以来、本合戦の勃発理由とされてきたのは西軍大将であった石田三成の性格的問題であったが、小倉氏は、このような視覚は徳川幕府下で作られたもので真実ではないとしている。また、直接同合戦の勃発へと連なる、慶長5年(1600)6月にはじまった徳川家康の会津東下から同合戦に至る情勢を検討すると同時に、戦後の情勢についても追究したうえで、同合戦の勝利がすぐに家康の天下となったわけではなかったことを指摘している。ただ、これらは直接、関ヶ原合戦自体について追究しているわけではなく、いわば、その原因および影響についての見解を示したものであった」と。
 谷口氏は、「これに対し、関ヶ原合戦自体の動向も含め、その前後をあわせて全体を見通す成果として、『日本戦史』関原役〔参謀本部 1893〕がある」と記し、その内容がまとめられています。さらに「同じく戦前に発表された関ヶ原合戦を総体的に検討する研究として、『近世日本国史』関原役〔徳富 1923〕」が挙げられ、「日本戦史」と比較検討されています。内容は大きく異ならないものの、「原因については、『日本戦史』に比べ考察は多く、直接的なものだけでなく、その背景にまで及んで」おり、それは「朝鮮出兵や打ち続く土木工事により、民衆は休まることがなく、秀吉の死は、いわば天下人心の休息であったとする点など」が指摘され、「このような指摘は、『日本戦史』が指摘する政権内部での亀裂のみならず、被支配者に対しても豊臣政権自体が不完全であったことがその背景にあるとするもので、新たな関ヶ原合戦の勃発理由の提示といえる」と評価されています。
 「近世日本国史」については、谷氏の同書の中で、中野氏の次のような指摘が紹介されています。 
 すなわち、「徳富蘇峰『近世日本国史』によって、三成が武将ではなく吏僚として描かれたことが『文治派』というレッテルの源になった」と。
 私も三成を「文治派」「吏僚派」などと捉えてきたきらいがあり、もともと武将なのだという認識を忘れてはいけないと戒めています。

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