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zoom RSS 三成の実像2425 京都探訪289 太閤堤跡歴史公園の事業計画

<<   作成日時 : 2018/10/16 10:27   >>

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フェイスブック(https://www.facebook.com/toshiyuki.hisatomi.7?ref=brem)でも記しましたが、宇治市で、今、大きな問題となっているのは、「太閤堤跡歴史公園」の建設です。88億円という巨額な費用がかかり、2業者の応募の末、業者は決まったものの、審査も不透明で、批判を浴びています。
 歴史公園を作ること自体については、私は意義深いことだと思っており反対ではありませんが、いろいろと問題点が多く、今のままでは素直に受け入れられません。
 埼玉県には、三成が北条攻めの際、忍城を攻めるべく、秀吉の命令で築いた石田堤が残っており、平成11年に鴻巣市に「石田堤史跡公園」が造られましたし、私も訪ねたことがあります。
 太閤堤跡は平成19年に発見されたもので、平成24年に行われた現地説明会に参加しましたが、その時の記事は拙ブログで以前記しました。太閤堤は、秀吉が宇治川の水流をすべて伏見城の下に集め、伏見港の機能を高めるために築かれました。太閤堤は、槇島堤、小倉堤、淀堤などから成り立っており、小倉堤は、当時伏見城の南にあった巨大な巨椋池の上に築かれました。巨椋池は後に埋め立てられて、今はありません。発見された太閤堤跡は、槇島堤の一部をなすもので、宇治橋下流の宇治川右岸にあり、京阪宇治駅のすぐ西に当たります。
 宇治市の計画によると、「歴史公園」は「史跡ゾーン」と「交流ゾーン」に分かれています。「史跡ゾーン」の「Aゾーンでは、現物遺構の直上に復元文化財として遺構を再現することとし、太閤堤前面の水辺空間と合わせて築堤当時の姿を再現します」と計画書に記されています。また「 Bゾーンでは、太閤堤が造られた後に時間の経過とともに砂州が形成され、茶園 として利用された時代を再現するとともに、茶摘み体験が行える修景茶園として整備します」と記されています。
 一方、「交流ゾーンは『観光交流センター』『庭園』『エントランス広場』の3つのエリアで 構成します。観光交流センターは、宇治の歴史や文化、宇治茶の魅力を発信するための施設とし、 庭園やエントランス広場は、歴史公園を訪れる市民や観光客の憩いの空間としての整備を行います。 観光交流センター内にはミュージアム、宇治茶体験室、エントランスホール、レストラン・喫茶、ミュージアムショップ、講座室・会議室などを配置し、施設全体として宇治の歴史や文化、宇治茶の魅力を発信するための整備を行います」とあります。
 確かに壮大な計画で、太閤堤や宇治の歴史が辿れると共に、宇治茶などのことも学べますから、新たな観光施設となる可能性はありますが、どれだけ集客が見込めるかわかりませんし、これだけの費用をかける必要があるのかという疑問もわきます。市民団体は公聴会の開催などを要求していますが、そういう手続きも踏んでいなかったことも問題です。

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