関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2466 佐和山城跡での第17回琵琶湖一周のろし駅伝・舞兵庫も参陣・「残紅葉」 

<<   作成日時 : 2018/11/27 17:15   >>

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 23日に、三成の居城があった佐和山での琵琶湖一周のろし駅伝、午後からの山麓の佐和山会館で行われた「いしだみつにゃん」誕生祭に行ってきました。その時の写真はフェイスブックの方でも何枚か掲載していますので、興味のある方はそちらの方も御覧ください。
https://www.facebook.com/toshiyuki.hisatomi.7

 琵琶湖一周のろし駅伝は今年で17回目ですが、何回か参加しています。関係者の人々が毎年、精力的に続けられていることに感嘆の念を持ちます。必要な道具類を山頂まで運ぶ苦労も相当なものです。
 彦根駅に着くと、小雨が降っており、果たして開催されるのか危ぶまれました。夜からかなり降ったと後で聞きました。もっとも、登り口に来た時には止んでいたので、これなら大丈夫だろうと山を登り始めましたが、道がすべりやすくなっていました。佐和山は三成祭の翌日の5日にも登りましたから、今月2度目です。
 今回は高島市の清水山城から時計回りに、順々に山城跡にのろしが上がってゆくということでしたが、雨の影響で、のろしは中止になった山城もあったと云います。しかし、佐和山は無事にのろしが上がりました。もっとも、怪しい天気で、午後のイベントもあったので、早々に下山しましたが。
 舞兵庫役の人も甲冑姿で参加していましたが、足元が悪いだけに、甲冑姿での登山も大変だったと思われます。舞兵庫はもともと豊臣秀次の家臣で、「若江八人衆」の一人と云われていますが、秀次が切腹した後、石田三成の重臣になり、関ヶ原の戦いで奮戦し討死したと伝えられています。「若江八人衆」のうち六名は、三成に仕えていますから、秀次事件に三成が関与していたら、彼らが三成の家臣になることはなかったと思われます。
 オンライン三成会編の「三成伝説」(サンライズ出版)の「舞兵庫」の章では、彼について詳述していますし、コラム「『若江八人衆』の行く末」には、八人それぞれの事績、関ヶ原の戦い前後の様子について、簡単に述べています。
 今年の佐和山の紅葉はいつもよりくすんでおり、少し残念な気がしました。例年は、この頃の紅葉が一番鮮やかで、その紅葉を見るたび、三成の人生と重なり合って見えます。
 三成の詠んだとされる辞世の歌として、「残紅葉」と名付けられる次の作品が書かれた短冊が、龍潭寺に残っています。
 
 「散り残る紅葉はことにいとおしき秋の名残はこればかりぞと」

 この歌は中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)でも紹介され、「散り残る紅葉」は三成自身のことだと解説されていますが、私も同意見です。

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