フランス文学探訪93 サルトル「嘔吐」1 事物が存在しているのは偶然だと知る 

 サルトルは1905年にパリで生まれました。高等師範学校を出ると、教授資格を取り、高等中学校で教えました。36年に「想像力」という哲学書を出版し、翌年に短編小説「壁」を雑誌に掲載し、さらにその翌年に小説「嘔吐」を出版しています。彼の活動は、哲学書・小説・戯曲と多岐にわたっていますが、彼の唱えた実存主義がいずれの作品にも色濃く表れています。プライベートな面では、生涯の伴侶として、「第ニの性」などの著作で名高いヴォーボーワールという女性がいましたが、結婚はしないままでした。サルトルは80年に75才でなくなっています。
 「嘔吐」の主人公はロカンタンという青年ですが、ド・ロルボン侯爵という歴史上の人物についての研究を、ある港町の図書館に通いながら続けています。ところが、ある日、彼が小石を海に投げようとして、その小石を眺めた時、突然吐き気に襲われ、しばらくの間、知覚や認識がおかしくなってしまいます。なぜそういうことが起こったのか、原因は何なのかを明らかにしようとして、日記を付け始めるのですが、その日記がこの「嘔吐」という小説になっているという設定です。
 彼は行きつけのカフェに座っている男のシャツヤズボン吊りに吐き気を覚えたりして、たびたび発作に襲われますが、公園のベンチに座り、マロニエの木の根を眺めているうちに、吐き気の正体がつかめて来ます。
 彼はベンチやマロニエなど周りに存在しているものすべてが、偶然にそこにあるだけの存在だということに気づいたのです。存在しているものは、理由もなく目的もなくあるだけで、そこに必然性は全くないことを知ったのです。それは自分という存在もそうで、偶然のものであり、他の存在にとっては、自分は余計なものに過ぎないという認識でした。彼がそれを感覚的にとらえた時、吐き気に襲われていたのです。彼はこの吐き気を逃れる方法として、小説を書くことを思いつきます。
 以上が簡単なあらすじですが、ロカンタンのこの認識は、実存主義の出発点だと言えます。この世に存在しているものが偶然に過ぎないことが明らかにされており、そこでは人間も事物も同じことになっています。しかし、事物とは違う人間の存在のあり方を追求しているのが実存主義であり、ロカンタンの認識だけでは、吐き気を催すだけで、そこから抜け出ることはできません。

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