旅行記163 三成の実像2641 壱岐対馬を経て韓国へ22 碧蹄館の戦いの跡碑・仁川から帰国

 
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5月2日、ソウル郊外の幸州山城跡に行った後、昼食を取り、碧蹄館の跡地と碧蹄館の戦いの跡碑を訪ねました。ここも17年前にも訪ねていますが、最初、碧蹄館の跡地がなかなかわからず、車で少しうろうろしました。碧蹄館は中国使節の宿泊地だったところで、以前はその跡地の中に入れましたが、今は柵があり、中に立ち入ることができません。今は礎石などが残っているだけですが。公園のすぐそばにあり、敷地も狭く、すぐにわからなかったのも無理ないところです。
 碧蹄館の戦いの跡碑は、碧蹄館跡地から車で五分余り離れた場所に建っていますが、道端に碑が建つだけです。英語とハングル文字で戦いの様子が描かれています(上の写真)。この碑や幸州山城跡の写真と説明は、オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の「朝鮮・文禄の役」の章のコラム「韓国を訪ねる」に掲載されています。
 碧蹄館の戦いを勝利に導いたのは、直接的には小早川隆景や立花宗茂の奮戦によるものですが、そこには三成の高い戦略眼があったとする見解を中井俊一郎氏が示されていますが、具体的には二点挙げられています。
 一点目は、押し寄せてくる明軍を開城(ケソン)で迎え撃とうという小早川隆景らの主張に対して、三成は明軍がすでに開城近くに来ており、早く撤退しなければ補給路を断たれてしまうので、漢城まで下がり、自軍を結集して反撃することを唱えたことです。結局、三成の主張が通り、日本軍は漢城に撤退します。
 二点目は、三成が漢城の北にある碧蹄里で明軍を迎え撃つことを提案したことです。野戦になれば、明軍の先鋒は騎馬兵中心で、味方を高所に布陣させ、敵を引きつけて戦えば勝てると。実際、日本軍は鉄砲隊の活躍により勝利をおさめました。
 この日が旅行の最後の日で、この後、車で空港まで送ってもらいましたが、人によって飛行機に乗る空港が違うので、金浦空港、もう一泊する人のホテル、仁川空港第二ターミナルにそれぞれ寄って送ってもらいました。私は仁川空港からで、大韓航空でした。7時10分発の飛行機で、フライト時間は1時間45分でした。国際便だったので、ハンバーガー、サラダ、フルーツが付いた機内食が出ました。映画の「アクアマン」を見ることが出来たので、迫力ある内容と面白さに惹かれて見ていましたが、最後までいかないうちに、関西空港に着いてしまいました。京都までの空港バスに乗り、京都駅からJRに乗り換え、家に着いたら真夜中近くでした。
 1週間の旅行でしたが、念願の、船で壱岐対馬を経由して韓国に渡り、倭城の現状を見ることができたのは大きな収穫でした。もっとも、倭城自体は全部で30程あるので、できれば、他の倭城の様子を見に行きたいという新たな思いが生まれました。

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