関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 旅行記144 石田三成の実像2623 壱岐対馬を経て韓国へ3 東長寺・神屋宗湛の墓・三成との交流

<<   作成日時 : 2019/05/06 00:19   >>

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写真は博多の櫛田神社の境内に展示されている、飾り山笠「如水九州平定功」を4月27日に撮ったものです。関ヶ原の戦いの際、九州では黒田如水(官兵衛)が毛利・三成ら豊臣公儀方に属する武将の城を次々に攻略してゆく場面を描いたものです。
 この日は、櫛田神社の次に東長寺を訪ねましたが、空海が日本で最初に創建した寺です。赤い五重塔が目を引きます。黒田藩の二代、三代、八代藩主の墓所があります。木造としては日本で一番大きな福岡大仏がありますが、4年前には訪ねたものの、時間の関係で、今回は拝観しませんでした。
 次に東長寺からすぐのところにある妙楽寺を訪ね、博多の豪商であった神屋宗湛の墓に参拝しました。黒田家重臣の墓もあります。
 神屋宗湛と三成の交流は、宗湛が初めて上洛した時に始まります。武野要子氏の「神屋宗湛」(西日本新聞社)によれば、宗湛の上洛は、天王寺屋宗及びと三成の筋書きによるもので、天正15年1月2日、宗湛は宗及の招きに従って、秀吉への献上品を持って三成邸を訪ねます。翌日、宗湛は宗及の案内で大坂城の秀吉を訪ねますが、三成が宗湛を大いにもてなします。宗湛の食事の給仕をしたのも三成です。
 その年に秀吉の九州攻めが行われますが、その時宗湛は秀吉の陣中見舞いのため、薩摩に向かいます。肥後八代の球磨川のほとりで、三成と会い、三成のお供をして、薩摩出水(いずみ)まで来て、三成のとりなしで秀吉にお目見えし、その後宗湛は帰郷しています。
 文禄の役の際は、直前に、宗湛は嶋井宗室と共に、兵糧米を貯えるようにと秀吉の命令を受けます。また朝鮮侵略が始まった直後には、名護屋の黄金の茶室で秀吉が開いた茶会に宗湛は招かれています。翌文禄2年6月には、秀吉の命令で五千俵積みの船を準備しています。博多は、朝鮮出兵の兵站基地として使われたわけですが、朝鮮出兵を宗湛が歓迎していたのかという点に関しては疑問に思っています。嶋井宗室と三成が、朝鮮出兵を止めるように秀吉に進言したという記載が「博多記」にありますし、博多の商人たちは、朝鮮との交易を望みこそすれ、戦いは望んでいなかった気がします。
 宗湛の墓を訪ねた後、近くの地下鉄の祇園駅から、空港線に乗り、筑前前原でJRに乗り換えて、1時20分過ぎに唐津駅に着きました。ここでオンライン三成会の人々と落ち合って、文禄・慶長の役の前線基地であった名護屋城に車で行きました。ここも4年ぶりの訪問です。

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