石田三成の実像2712  白峰旬氏「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の解釈について」18

白峰旬氏の「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の解釈について」(2019年発行『別府大学大学院紀要』第21号所収)の中で、光成準治氏の「関ヶ原前夜」(NHK出版)で取り上げられている「厚狭毛利家文書」の六通の毛利輝元書状のうち、光成氏がA文書(46号文書)と呼んでいる書状も、反石田三成訴訟騒動があった慶長4年閏3月のものではなく、翌年の6月上旬の家康による上杉攻め直前の時のものだと推測されています。これまで拙ブログで光成氏の同書でのA文書の現代語訳と白峰氏の解釈・解説を対比させてきましたが、光成氏の同書では現代語訳されていない続きの部分について、白峰氏は次のように解釈・解説されています。
 「下屋敷の普請が進捗していないことへの叱責と思われる」
 「毛利輝元が毛利元康の健康状態を心配していることを示している」
 「『たんき』とは『暖気』を指す。『暖気』とは『非常な暑さ、または、暑い天気』という意味であるので、この書状が出された時期が夏の暑い時期であることを示している。この時期的な点から見ても、この書状が慶長4年閏3月に出されたものではないことがわかる」と。
 このうち「下屋敷の普請」については、白峰氏が指摘されている通り、C文書、B文書にも記載がありましたし、後述するE文書にも、同様の記載があり、A文書も含めて、同じような時期の書状であることがわかります。それに対して、D文書とF文書にはそのような記載はないことも指摘されています。
 「毛利輝元が毛利元康の健康状態を心配している」ということについては、これも白峰氏が 指摘されているように、やはりC文書、B文書、E文書にも、A文書と同様の記載があり、同じような時期の書状であることを示しています。
 また夏の時期の書状だという白峰氏の指摘も説得力があります。「暖気」の意味については、「邦訳日葡辞書」によっていることが、白峰氏の同書の【註】に記されています。「暖気」は、「日本国語大辞典」(小学館)では、「暖かい気配・空気・気温。また暖かさの程度。あたたかみ」と記されていますから、現在の意味とは異なっているわけです。6月は旧暦では、夏の季節であるのに対して、閏3月は春の季節になります。旧暦では4月から6月までが夏になり、関ヶ原の戦いが起こった9月15日は旧暦ではすでに秋の終わりの季節です。季節感が違うという点は常に頭に入れておかねばなりません。 

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