石田三成の実像2702  白峰旬氏「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の解釈について」10

 白峰旬氏の「慶長4年閏3月の反石田三成訴訟騒動に関連する毛利輝元書状(『厚狭毛利家文書』)の解釈について」(2019年発行『別府大学大学院紀要』第21号所収)の中で、光成準治氏の「関ヶ原前夜」(NHK出版)で取り上げられている「厚狭毛利家文書」の六通の毛利輝元書状のうち、光成氏がA文書(46号文書)と呼んでいる書状も、反石田三成訴訟騒動(光成氏の見解では従来通りの七将による石田三成襲撃事件)があった慶長4年閏3月のものではなく、翌年の6月上旬の家康による上杉攻め直前の時のものだと推測されています。光成氏の同書でのA文書の最初の部分の現代語訳は次のようになっています。
 「誰かを行かせて申したいと思ったのですが、適任の者には用事を申し付けていて、ひまがありません。まず、書面で申します。
 一、石田三成から、(使者として)小西行長と寺沢正成が来られました。石田三成は『私の命を狙った者達は全く成果を挙げることができず、むしろ、手をこまねいている今はよい機会ですので、こちらから仕かけられるのがよいでしょう。そこで、輝元も天馬のように都から下って、陣営を尼崎へ敷き続けるように』と申されました」と。
 このうち「私の命を狙った者達」と訳されている部分は、原文では「ねらいたて候仕候者」と記されており、白峰氏の同書では「この解釈は再検討が必要だと思われる」として、次のような新たな解釈が示されています。
 すなわち、「この文言は、茶道の用語で『ねらい点(たて)』という語にあたり、『狙(ねら)い点(たて)』とは『ここぞという見せ場のねらいを定めて(茶を)点てる』という意味である。つまり、『ねらいたて』の『たて』は“茶を点(た)てる”という意味の『たて』である。この連署状を書いた中心人物は石田三成と思われるので、こうした茶道の用語を文中の文言として、さりげなく使用している点に三成の教養の高さが窺える。
 上記の点を考慮すると、これは、具体的には、上杉討伐発動直前の状況を指していると思われる。上杉景勝に落ち度があるわけではないので、周囲は家康に対して景勝と話し合いをするように度々進言したが、家康はこの進言を無視して上杉討伐を強引に決定したという経緯があった。
 本来であれば、家康は上杉討伐を政治的・軍事的に華々しい『見せ場』として遂行したかったのであろうが(=『ねらいたて』)、上述のように、実際には家康はスムーズに上杉討伐の発動に漕ぎ着けられない状況(=『手おきたる』)であった。このことを石田三成などが揶揄した表現ととらえることができる」と。
 「ねらいたて」という文言で、これだけ大きく解釈が変わって来て、指している出来事も全く異なってくるというのですから、一語なりともおろそかにできないという気が強くします。今までは、私自身、光成氏の解釈をそのまま鵜呑みにして、いわゆる七将による石田三成襲撃事件の実相をこのようなものだと思ってきたのですが、新たに考え直さなければいけないことに思い至りました。
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