旅行記204 11月2度目の近江旅行6 石田三成の実像2772 成菩提院の「三成会議」1「乙訓戦国つつじ」のメンバーによる甲冑劇

DSCN7969.JPGDSCN7956.JPGDSCN7960.JPGDSCN7965.JPGDSCN7967.JPG 佐和山城跡ののろし駅伝・いしだみつにゃん誕生祭の翌日は、米原市柏原の成菩提院で三成会議のイベントが開かれました。私が行った時には、三成マンホールデザイン表彰式は終わっており、「乙訓戦国つつじ」のメンバーによる甲冑劇が始まっていました。三成の少年期から、成長して秀吉のもとで活躍し、関ヶ原の戦いで敗れて処刑されるまでを三十分という短い枠の中で、スピーディーにまとめあげられていて、構成の巧みさを感じました。演じている人も役になり切って好演し、胸がじーんと熱くなる内容でした。三成の少年期(佐吉)は女性が演じ、大人になってからは男性が演じていたのも面白い試みだと思いました。少年時代は、加藤清正、福島正則らと一緒に育ち仲がよかったたものの、大人になってからは意見の違いが生じて、対立してゆくという設定になっており、それが事実であるかどうかは別として、ドラマとしてはよく出来ていました。もっとも、劇の中で従来の通説通りに描いている点がいくつかあって気にはなりましたが。
 たとえば、清正は文禄の役の際、秀吉の怒りを買い、日本に戻され、謹慎処分を受けたものの、伏見城が慶長大地震で倒壊した時、真っ先に登城して、秀吉に気に入られ、謹慎を解かれたというふうに描かれていた場面。これについては、清正が謹慎処分になったという形跡がないこと、清正が日本に戻ったのは明使との折衝役に当たるためだったという鳥津享二氏の見解、清正が地震直後に家臣を従えて伏見城に登城したのは史実としては考えにくいという西山昭仁氏の見解があり、拙ブログでも紹介しました。
 また秀吉の死の半年後に前田利家が死んだ直後、三成が清正・正則ら七将に襲撃されそうになるというふうに描かれていましたが、この点に関しても、実際は襲撃事件ではなく訴訟騒動であったという見解が水野伍貴氏・白峰旬氏の見解があり、これも拙ブログでたびたび取り上げています。
 劇は境内で行われましたが、その後の柏原歴史館館長の谷口徹氏による講演会「石田三成と十三ヶ条掟書」は本堂で行われました。

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