旅行記202 11月2度目の近江旅行4 石田三成の実像2770 いしだみつにゃん誕生祭2・田附清子氏の講演「三成の歌~辞世~」2「筑摩江や」の歌の出典

DSCN7943.JPGDSCN7944.JPG 写真は11月23日の午後に彦根の佐和山会館で行われた、いしだみつにゃんの誕生祭のバースディーケーキです。みつにゃんには色紙やきつねのぬいぐるみもプレゼントされていました。家康が「たぬき」と呼ばれているのに対して、三成は「きつね」と言われることがよくあるのにちなんだ贈り物です。
 さて、その時に行われた 田附清子氏の講演「三成の歌~辞世~」ですが、三成の辞世の歌として、一般に知れわたっているもう一首の歌「筑摩江や」についても言及されていました。次のような歌です。
 「筑摩江(つくまえ)や 芦間(あしま)にともす かがり火と ともに消えゆく わが身なりけり」
 この歌の出典がよくわからず、田附氏はいろいろ調査された結果、北野源治氏の「石田三成と佐和山城址」(彦根石田三成公顕彰会)に記載されていることを突き止められました。もともと松尾寺に残っていた文書に記されていたものを、北野氏の同書で紹介されていたわけです。
 そこには、三成の歌に対する、嶋左近の返歌も記されており、この返歌は私も知りませんでした。
 「名は野はら 身はくちなはの 住居(すまい)かな(ともに消えゆく わが身なりけり)」
 「くちなは」は蛇のことであり、「くち」は、「身は朽ち」と「くちなは」の掛詞になっています。なお、三成の歌にある「筑摩江」は米原にあった入り江だということも説明されていました。
  この歌のやりとりが本当にあったとすれば、涙を誘われるような話です。いささかドラマチックであり、信憑性のほどは確かではありません。
 もっとも、松尾寺は三成とは縁の深い寺です。田附氏の講演でも紹介されていましたが、三成の父の正継が、六十巻の書物を返却することを記した書状が松尾寺に残っています。正継自身はそれらの書物を読破し、三成にも読ませようと思っていたが、なかなかその機会がないので、大切なものを長く借りておくわけにもいかないので、お返しするというものです。この書状は、今井林太郎氏の「石田三成」(吉川弘文館)でも紹介され、三成が佐和山城主に封じられた頃のものだと推定されています。
 

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