石田三成の実像2814 中井俊一郎氏の講演「書状から読み解く三成の人間力」10 鷹狩マニアであることを示す某中納言宛三成書状

今まで拙ブログ記事で取り上げてきた、中井俊一郎氏による講演会「書状から読み解く三成の人間力」の書状は、いずれも三成の「コミュニケーション力(人づきあい)」を示すものですが、次に三成の「趣味」を物語る書状として、年月未詳26日付の某中納言宛三成書状と、年月未詳6日付の真田信幸宛三成書状が取り上げられています。この「趣味」について、「三成の趣味は茶の湯、刀剣等もあるが、最も拘りをもった趣味は鷹狩りである」「趣味である鷹狩を通じた交友関係、趣味へのこだわりなど、人柄が伺える資料」だと解説されていました。
 前者の書状は、次のように現代語訳されています。
「(大意訳)内々差し上げる心づもりで、昨日ご覧に入れましたトヤ鷹(オオタカの成鳥)ですが、ご覧のところではあいにく獲物をとることができず残念でした。それで今日は天気は悪かったのですが、私の鷹師をやって、あのトヤ鷹にこの雁を一つとらせましたので、雁を添えて進上します。以前内々申しましたように私の秘蔵の鷹です。その手際は、今度の道中同行した城州(山城守)がよく見知っておりますので、お確かめください。
 また昨日、貴方自身の拳より飛ばせて獲物をとらせた若鷹は、これまでに私が雁を二羽、私の鷹師は七羽獲らせました。この鷹はたしかに、この秋には鶴をとると思いますので、大崎方へ預けておきましたから、まずこの夏の季節は青鷺をとらせてお遊びなさいますよう。この秋に鶴をとり(満足なさったら)私にお返しください。(いったん渡したものをまた返せ、という我ながら)おかしなことですが。恐惶謹言」と。
 この書状は、加藤秀幸氏の「石田三成書状ーその趣好ー」(谷徹也氏編『シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成』【戎光洋出版】所収)で取り上げられていますが、1976年に発表されたものです。中井氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)でも、この書状は取り上げられ、詳述されていますし、拙ブログでも紹介しました。三成は文吏派武将と見られがちで、鷹狩を趣味としていたことには、一般的には意外に思われるかもしれませんが、三成が武将だという面が忘れられているためだと思われます。宛名の中納言について、中井氏は織田秀信、文中の「城州」は山中長俊ではないかと推定されています。それに対して、加藤氏は中納言は上杉景勝、「城州」は山中長俊と推定され、 中野等氏は加藤氏と同様、中納言は上杉景勝、「城州」は加藤氏とは違って直江兼続と推定されています。谷徹也氏は中野氏の説に賛意を示されていますが、その根拠として「文中の『大崎方』は大崎氏の関係者を指すものと思われ」るという点が挙げられ、さらに次のように指摘されています。
 「三成は、大名への復帰を目指して在京していた大崎義隆の援助を行い、正澄に宿所を手配させていた。よって、大崎氏関係者の鷹師が三成と交流していたであろうことは推測に難くない。また、文中で宛名の人物と居所が近いことに加え、『当春』は雁もいないとする表現から、三成が奥州に下っており、帰雁の時期である慶長3年3月26日が発給日として妥当と思われるのである」と。
 谷氏の説に従えば、この書状は三成が上杉氏の会津転封に伴う業務のために会津に下っていた時に書かれたことになります。

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