約5年ぶりの大阪府立大手前高校訪問7 昭憲皇太后(明治天皇の皇后) 行啓記念碑・大阪府高等女学校時代に訪問・伏見の明治天皇陵の東隣に昭憲皇太后陵

DSCN8542.JPG 大阪府立大手前高校が伝統校であることを物語るものとして、校内に建っている昭憲皇太后行啓記念碑があります。昭憲皇太后は、明治天皇の皇后であり、一条家の出身で、名前は勝子(まさこ)、のちに美子(はるこ)と改名しました。皇后になったのは、明治元年のことであり、当時19歳でした。
 昭憲皇太后が訪れたのは、大手前高校が大阪府高等女学校(大阪で最初の女学校です)と呼ばれていた、創立二年目の明治20年のことで、校舎は中之島にありました。昭憲皇太后は、女子教育を推し進めた女性ですから、京都行啓の折、大阪府高等女学校にも立ち寄って視察したのでしょう。
記念碑は、行啓50年を記念して昭和12年に建てられたものです。校舎が今の大手前の地に移った(それまで堂島、梅田と移転していますが)のは、大正12年です。
 大手前高校が男女共学の学校になったのは、戦後の昭和23年のことです。私が大手前高校に赴任した時、生徒の出席番号が女子生徒から始まっており、女子校だったことがこういうところにも生きていると感心したものです。女性の教員の数も、それまで勤務していた高校に比べて多いような気がしましたが、これもそういう女学校であった歴史が反映されていたのでしょうか。もっとも、現在はどういう割合になっているのかは把握していませんが。
 DSCN2248.JPG 昭憲皇太后が亡くなったのは大正3年のことで、明治天皇の崩御から2年後のことでした。昭憲皇太后の御陵は、京都伏見の明治天皇陵のすぐ東隣にあります。ここも明治天皇陵と同様、秀吉が建てた木幡山伏見城(指月伏見城が慶長大地震で倒壊した後、新たにその東にある木幡山に再建されました)の跡地です。明治天皇も皇后も京都生まれですから、今は生誕の地で仲良く眠っておられるわけです。
 

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