最初の勤務校だった大阪府立茨田高校の周辺散策2 創立二年目に赴任・内々の通知が校長からあったのは1月9日・正式の内定通知・校長室での面接

DSCN9727.JPGDSCN9726.JPGDSCN9728.JPGDSCN9729.JPGDSCN9730.JPG 大阪府立茨田高校のたたずまいはあまり変わっていませんでした。校舎の外装は私が勤務していた時と違っていましたが。一番変わっていたのは周囲の景色です。学校の周囲は四十年前は田畑が多かったのですが、今は住宅などが建ち並んでいて、田畑は見当たらず、隔世の感がありました。正門に行く道も、両側に住宅がずらりと建っていて、その奥に校舎が見えるという光景に変わっていました。
 私が赴任したのは創立2年目で、当然、生徒も一年生、二年生だけでしたし、校舎も未完成で、体育館・プール・食堂もまだありませんでした。しかし、教員も生徒も学校を自分たちで作っていこうという意欲に燃えていたように思います。教員も半分は新任でした。
 当時、教員の採用は校長に委ねられていたようです。大学五回生の時、教員採用試験に合格し、京都の下宿に、校長からわが校に内定したとの電話がかかってきたのが1976年1月9日でした。もっとも、内定の解禁日が12日だったため、高校名は名乗らず、大阪市内の高校だということだけ告げられました。12日に改めて正式の内定通知の電話が、大阪の実家の方に来、その時に、茨田高校だと明らかにされました。
 面接のため、茨田高校に初めて行ったのが、19日です。初めは14日の予定だったのですが、発熱して喘息の持病が出たので、延ばしてもらいました。最初は正門がどこかわからず、校舎のまわりをうろうろしたと当時の日記に書いています。校長室で校長・教頭・事務長と対面しましたが、ものものしい雰囲気ではなく、国語科の教員の構成などについて説明を受けただけで、十分程度の簡単なものでした。その足で、教育委員会に書類を出しに行き、翌日、健康診断を受けました。もっとも、4月の赴任までに、国語科の打ち合わせと入試の手伝いのため、もう2回茨田高校へ足を運ぶことになりましたが。 

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント