ドラマ探訪46 「おちょやん」のモデルとなった浪花千栄子さんが演じていた「細うで繁盛記」の祖母・花登筺氏の原作を天…

 朝ドラ「おちょやん」のモデルとなっている浪花千栄子さんの演技で、一番印象に残っているのは、かつて読売テレビで放送された「細うで繁盛記」のヒロイン、加代の祖母役でした。祖母は大阪の料亭「南地楼」の女将で、加代に商いの心得、経営の精神というものを加代に教え、加代は祖母の言葉を胸に刻んで、熱川温泉の旅館「山水館」の主人に嫁ぎ、数々の苦難を乗…
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石田三成の実像2977 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」29 本間宏氏「上杉景勝の戦い」9 7月23日付の最…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、会津攻めのために江戸を7月21日に出立した家康のその直後の動きについて、次のように記されています。  「7月23日、石田三成と大谷吉継(吉隆)の決起を伝える情報が徳川家康のもとに届いた。大坂城の淀殿と豊臣氏奉行衆(長束正家・増田長盛・前田玄以)は…
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自作短歌の周辺42 日本歌人クラブ編「現代万葉集 2020年版」に載せた三首・連作短歌「歪められた歴史」の最初の部分

 日本歌人クラブ編「現代万葉集 2020年版」がしばらく前に届きました。昨年までの発行はNHK出版からでしたが、今年は短歌研究社になりました。私が載せたのは次の三首です。  人事権握る政府の言ひなりになる官僚のあまりに多し  政権に都合の悪き文書類廃棄さるるは今も変はらず  権力者によりて文書の改竄が行はれたるも世の常なるか …
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石田三成の実像2976 番組「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」1 山中エリアで発見された玉城跡・三…

 NHKの「決戦!関ケ原 『空からスクープ 幻の巨大山城』」という番組で、航空機からレーザーを照射して、地表の凹凸を計測し、そのデーターを処理して作られた赤色立体地図から、関ヶ原の山中エリアに「玉城」という巨大な山城の跡があったことが明らかにされていました。千田嘉博氏らが実際に現地に足を運んで、切岸、竪堀、土塁、200メートルもの平坦な…
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京都探訪326 出町橋のそばの「鯖街道口」碑・京都アニメーション制作の「たまこまーけっと」のモデルになった枡形商店街

  烏丸通沿いにあるコンサート会場のアルティホールに行くのに、出町柳から今出川通を西に向かい、高野川に架かる河合橋、賀茂川に架かる出町橋を渡りました。賀茂川と高野川が合流して、鴨川になるわけですが、平安京の時代は鴨川は郊外でした。それが時代と共に京の町の中心が次第に東に移動して、京都御所も変遷を重ねた末、最終的に今の場所に落ち着きまし…
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石田三成の実像2975 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」8 家康は遠山利…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。  第15条の「(家康が)東美濃への軍勢を遣わすことは、のちにおこなう予定とのことである。遠山利景(美濃国明知城…
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京都探訪325 百万遍の「吉野屋」で夕食・大学時代はよく通っていた中華料理店があった場所・学生時代からあるクラシッ…

 11月29日の夕方に北白川を散策した後、夕食を百万遍の交差点の北西角のところにある「吉野屋」で取りました。冷え込みが厳しいので、牛すき鍋膳を食べて体を温めました。ごはんのお替わりは無料ですが、私はカロリー制限中なので、頼みませんでした。しかし、学生の中には、ごはん大盛りのお替わりを二度している人もいて、さすが学生の食欲は旺盛だと感心し…
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石田三成の実像2974 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち本城惣右衛門の戦歴が表にしてまとめられ、その表から「良い首と悪い首の基準」について、次のようにまとめられています。  「良い首は武功のあ…
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京都探訪324 大学時代、友達が下宿していた北白川近辺を散策・下宿で議論しながら飲み明かした日々・「紅白」を見なが…

 京都新祝祭管弦楽団のコンサートへ行く前、北白川のあたりを歩いてみました。北白川には大学時代、友達の下宿が二軒あり、よく訪ねていましたが、40年余りも経っていますから、建て替わっている家も多く、どこが友達の下宿だったのか判然としませんでした。夕方で次第に暗くなってきたということもあります。そのうちの一軒で、ドイツ文学を専攻していたH君の…
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石田三成の実像2972 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」7 金森長近は木…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。  第14条の「金森長近(飛騨国高山城主)も、その谷(=木曽谷)を固く守っていることについて、(家康は)御満足し…
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音楽探訪49 京都新祝祭管弦楽団の「ベートーヴェン生誕250年記念の特別演奏会」 交響曲第五番「運命」に興奮

 11月29日(日)の夜、烏丸通沿いにある京都府立府民ホール・アルティでの京都新祝祭管弦楽団のコンサートに行きました。ベートーヴェン生誕250年記念の特別演奏会でしたが、コロナ禍の影響で、一時間という限られた演奏時間の中、「ロマンス」第2番(ヴァイオリン独奏は谷本沙織さん)、歌劇「フィデリオ」よりアリア「もしあなたと結ばれたなら」(ソプ…
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石田三成の実像2971 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、「本城惣右衛門覚書」から得られる知見について提示されていますが、そのうち本城惣右衛門の戦歴が表にしてまとめられ、その表から「首取りと褒美」について、次のように記されています。  「①すべての戦いで、本城惣右衛…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策11 ラッシュ時は満員だった阪堺電車・子供の頃から馴染み深かった大阪市電・…

 阿倍王子神社から安倍晴明神社の道は、熊野街道の一部で、その雰囲気が今もなんとなく残っています。安倍晴明神社のすぐ近くに阪堺電車の東天下茶屋駅があり、そこから電車に乗って天王寺に戻りました。  阪堺電車は、大阪で唯一残る路面電車であり、子供の頃から大阪市電に馴染みが深かった自分にとっては、ノスタルジーを誘われる電車です。天王寺区の椎寺…
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石田三成の実像2970 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」6 家康も江戸に…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。  第13条の「石川康長(信濃国松本城主)の人質が家中共々、昨(8月)20日に私(大久保長安)の代官所の日野(武…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策10 安倍晴明神社・晴明の生誕地という伝承・「葛乃葉」「信太妻」伝説

 安倍晴明神社を訪ねたのもほぼ40年ぶりです。ここが安倍晴明の生誕地という伝承があり、「安倍晴明伝承地碑」も建っています。境内には、本殿、安倍晴明の銅像、晴明の母という伝説がある白狐の像、白狐が変身した女性「葛乃(の)葉」の絵、晴明の産湯の井跡などがあります。小さな神社であったという記憶がありますが、その通りでした。  「葛乃葉」は、…
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石田三成の実像2969 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」28 本間宏氏「上杉景勝の戦い」8 指揮を取った兼続…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康による会津攻めに対して、上杉景勝に代わって、直江兼続が軍事・外交を指揮したことについて次のように具体的に述べられています。  「徳川家康が江戸城を進発した翌日の7月22日、兼続は若松城から出陣した。兼続は出陣に先立ち、南会津を守備する大国…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策9 熊野王子社の一つとなった阿倍王子神社・同じ年に入った教員同士の結びつき

 阿倍野の鎮守の社である阿倍王子神社を訪ねたのはほぼ40年ぶりのことです。なにしろ住吉高校に転任した時に、社会科の先生に案内されて行って以来ですから。  この神社は仁徳天皇によって創建されたとも、阿倍野の地を本拠としていた古代の豪族「安倍氏」が創建したとも言われています。平安時代になり、熊野信仰が盛んになると、この場所が四天王寺と住吉…
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石田三成の実像2968 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についての解説の続きです。  「本城惣右衛門は取った首を藤堂高虎のところへ…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策8・旧制大阪高校跡・よく通っていた店は見当たらず・「雲海」でランチ・北畠公…

  晴明丘公園を東に歩いて行くと、あべの筋に突き当たりますが、そのあたりは大正時代に創立された旧制大阪高等学校があったところで、現在、跡碑が建っています。この近辺、今はスーパーやマンションが建っており、当時と雰囲気は変わっていました。旧制大阪高等学校は、後に大阪大学に包括されました。   このあたりにあった飲食店で、住吉高校勤務当時は…
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石田三成の実像2967 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」5 家康方軍勢の…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。  第11条の「清須城(尾張国)までの道筋(の諸城)は確実に(徳川方が)受け取った」と現代語訳されている部分につ…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策7 北畠顕家と北畠親房が祀られている阿部野神社・同人誌発行のための初会合を…

 阿倍野区北畠の地名は、南北朝時代に南朝方として活躍し、若くして戦死した北畠顕家にちなみます。あべの筋沿いにある北畠公園に顕家の供養塔があり、住吉高校の西にある阿部野神社に、北畠顕家とその父親の北畠親房(「神皇正統記」を書いたことで有名です)が祭神として祀られています。住吉高校に勤めていた当時は、阿部野神社にお参りしたことはありませんが…
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石田三成の実像2966 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」27 本間宏氏「上杉景勝の戦い」7 防御に徹する景勝…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康による会津攻めに対して、上杉景勝が「白河口」の「革籠原(かわごはら)」で徳川軍を迎え撃つ準備をしていたという説は、誤りだと指摘され、実際の上杉氏の動きについての高橋明氏の見解が紹介されていることは拙ブログで前述しましたが、その上杉氏の動きについ…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策6 よく昼食を取りに行っていた相生通の店はほとんど残っていず・今もレトロな…

住吉高校は、住宅街の中にあるので、飲食店が近くにありません。そのため、在任当時、昼食は専ら校内食堂で取っていましたが、土曜日などは授業が昼までなので、同僚と外に食事に行くことがよくありました。行くとするなら、北西の相生通へ行くか、東のあべの筋の方に出るかのどちらかでした。今回、どちらの方面へも回ってみましたが、まず相生通の方へ行きました…
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石田三成の実像2965 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についての解説の続きです。  「藤堂高虎の母衣(ほろ)の衆の青木忠兵衛と大…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策5 当時の周辺住民からの苦情・「闇チャリ」という言葉・西隣は今は空き地

 大阪府立住吉高校の周辺の回りを歩いて一周してみましたが、在任当時、教員親睦のテニスをしている時、2コートしかないため、ダブルスの試合で8名までしかできず、人数が多いと待たねばならなりませんでした。冬場はその間寒いので、学校の回りを同僚とランニングして一周していました。   写真は校舎の南側を撮ったものです。高校は当時から住宅街の中…
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石田三成の実像2964 「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」4 豊臣公儀方の…

 白峰旬氏の論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されていますが、その続きです。   第6条の 「鉄炮・玉薬(=火薬)以下を付けさせて(そちら[=木曽谷]へ)送った。(それらはそちら[=木曽谷…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策4 卒業式で君が代が流された際、教職員や生徒が退出した時代・卒業証書をハン…

 いわゆる国旗・国歌法ができたのは、1999年のことですが、それより数年前に卒業式に日の丸を掲揚し、君が代を流すという問題で、住吉高校も混乱したことがあります。校長が文部省や教育委員会の意向を受けて、教職員や生徒に強制してきました。大半の教職員や生徒の自治会、生徒の部落解放研究会などが反対し、校長交渉をしたにもかかわらず、校長は強行しま…
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石田三成の実像2963 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」26 本間宏氏「上杉景勝の戦い」6 捏造された「革籠…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、家康による会津攻めに対して、上杉景勝が「白河口」の「革籠原(かわごはら)」で徳川軍を迎え撃つ準備をしていたという説は、誤りだと指摘され、次のように記されています。  「景勝は若松から動かず、兼続もこの方面には出陣していない(高橋明 2009c)。…
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20数年ぶりの大阪府立住吉高校の周辺散策3 創立60年記念に建てられた伊東静雄の詩碑・旧制中学教員当時の伊東・同人…

 大阪府立住吉高校の旧正門と正門の間ぐらいに、伊東静雄の詩碑が建っています(「住吉の森」と呼ばれる木立の中)。コロナ禍で校内には入れないので、柵越しに写真を撮りました。  碑には「わが死せむ美しき日のために 連嶺の夢想よ! 汝(な)が白雪を消さずあれ」で始まる「曠野(こうや)の歌」と題する詩が刻まれていますが、創立60年記念に建立され…
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石田三成の実像2962 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についての解説の続きです。  「『惣右衛門覚書』によれば、この戦い(八尾・…
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