映画探訪41「マトリックス」 坂本花織選手の完成度の高い演技・大阪府立堺工業高校の国語の授業で教材代わりに・現実はコンピューターが作り出した世界という設定

 フィギュアスケートの坂本花織選手が、国別対抗戦のフリーで「マトリックス」の世界観を、力強いジャンプと、スピーディーな激しい動きで表現し、完成度の高いその演技に魅了されました。娘は、女子は坂本選手推しなのですが、感情をいつもストレートに表すところが好きだと言いますし、私も関西人らしいと好ましく思っています。さらに上を目指して頑張ってほしいと願っています。
 「マトリックス」の映画は、大阪府立堺工業高校に勤めていた時代、国語の授業で見せて、教材代わりにしたことがあります。堺工の教職員で始めた同人誌に、「映画探訪」の「元堺工の取り組み」(この時は大手前高校に転勤していました)として、「マトリックス」についても掲載しました。生徒に配布したまとめプリントも載せましたが、「マトリックス」の正体、登場人物、出てくる言葉、撮影の苦労などについて、解説しています。
 この映画では、人間が見ている現実は本物ではなく、コンピューターが作り出した世界を見せられているという設定になっていますが、そもそも、われわれが見ている世界が本当のものかどうかは厳密に云えばわかりませんし、疑えば疑えます。デカルトはすべての存在を疑ってかかり、最後にたどり着いたのが、疑う自分自身は否定できないということであり、「我思う、ゆえに我あり」がデカルト哲学の出発点となりました。そういう意味で、この映画は哲学的な宗教的な内容も含んでいます。
 この点について、生徒に配布したプリントについて、次のように記しています。
 「現実に経験していることは、脳が解釈する電気信号に過ぎないとモーフィアスが言っているが、含蓄深い言葉である。われわれが見たままの世界が本当に存在しているのか疑おうと思えば疑える。トンボの目に映っているものと、われわれ人間が見ている世界とが違うように、また宇宙人の目に映っている世界とは違うかもしれない。かつてのSFに、宇宙人が地球を支配していて、地球は植民地化されているのだが、人間自身はそのことに気がつかないというものがあったし、『メン・イン・ブラック』でも宇宙人が地球を手玉に取っているラストシーンがあった。宇宙人やコンピューターを神に置き換えれば、宗教論にまで話が発展する。哲学的な問題も含んでいる。『無知は幸いなり』『汝自身を知れ』というせりふが映画の中にあったが、君ならどちらを選ぶ?」と。
 コンピューターに操られた世界を救うべく立ち上がるのが主人公のネオですが、マトリックスを超えた力を持つために、超人的な働きをし、スーパーマン的ですし、キリストのように復活まで果たします。ネオという名前も「新」を表し、救世主らしいネーミングになっています。カンフーや撃ち合いなどアクションはダイナミックで、特に主人公が体を反らせて弾丸をよけるスローな場面は特に有名ですが(坂本選手もフィギュアの演技でその場面を巧みに取り入れていました)、その場面を撮影するのにいかに苦労しているかについても授業で触れました。マトリックスの正体がわかるまでの謎解きも面白く、生徒も充分楽しみながら作品を見ていました。
 

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