映画探訪41「マトリックス」 坂本花織選手の完成度の高い演技・大阪府立堺工業高校の国語の授業で教材代わりに・現実は…

 フィギュアスケートの坂本花織選手が、国別対抗戦のフリーで「マトリックス」の世界観を、力強いジャンプと、スピーディーな激しい動きで表現し、完成度の高いその演技に魅了されました。娘は、女子は坂本選手推しなのですが、感情をいつもストレートに表すところが好きだと言いますし、私も関西人らしいと好ましく思っています。さらに上を目指して頑張ってほし…
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石田三成の実像3043 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」56 浅野友輔氏「毛利輝元の戦い」7 隠退後の三成と…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、浅野友輔氏の「毛利輝元の戦い」の中で、秀吉の死の翌年、三成が奉行職を解かれ佐和山に隠退した後の輝元と家康の関係について、次のように記されています。  「輝元は家康の動きに対して神経をとがらせていく。三成が襲撃されてから3カ月後、輝元は安国寺恵瓊を間に立たせて、元養子の秀元に起請文…
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友人の新著「信心の再発見」2 「信仰」と「信心」の違い 京都探訪335 東本願寺の「涉成園」3 北大島に建てられた…

 N君の新著「信心の再発見」の中で、「信仰」と「信心」の違いについて論じられています。すなわち、「信仰」は「私が信じる」ということであるのに対して、「信心」は阿弥陀から与えられたもので、私はあくまで受け取る側であり、その到達点が親鸞の「絶対他力」だと指摘されています。もっとも、親鸞もすぐにはその境地に達したわけではなく、布教活動や「教行…
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石田三成の実像3042 オンライン三成会の初めてのリモート飲み会3 「鷹狩書状が秀次宛とするならば、それはいつか?」

 三成会の初めてのオンライン飲み会の話題「鷹狩書状が秀次宛とするならば、それはいつか?」について、某中納言宛の鷹狩書状は春に書かれたものと思われることから、中井俊一郎氏は議論の資料として、秀次が天正15年11月22日に中納言になって以降の、秀次の春の行動、三成の春の行動、秀吉の鷹狩の状況が表にして示されていました。  中井氏はこの書状…
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友人の新著「信心の再発見」1 オウム真理教事件と「歎異抄」 京都探訪334 東本願寺の「涉成園」2 慶喜の癒やしの…

 N君の新著「信心の再発見」(幻冬舎ルネッサンス新書)の中で、オウム真理教の事件に関して言及されていますが、「歎異抄」の次のような一節が紹介されています。  親鸞が弟子の唯円に「わたしの言うことを信じて、何でも従うか?」と問うと、「はい」と答えたところ、親鸞は「往生のために人千人を殺してみよ」と言います。唯円は「一人も殺せません」と答…
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石田三成の実像3041 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」55 浅野友輔氏「毛利輝元の戦い」6 三成が引退した…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、浅野友輔氏の「毛利輝元の戦い」の中で、秀吉の死の翌年、三成が奉行職を解かれ佐和山に隠退した件の評価について、次のように記されています。  「三成対反三成派の抗争とも、徳川派(清正・正則ら)対反徳川派(三成ら)の抗争ともいわれており、評価はまちまちである。ただ、この三成の隠退劇につ…
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梅原猛氏の仏教観に共鳴 京都探訪333 東本願寺の「涉成園」1 高石垣・池に面している臨池亭、滴翠亭・印月池にかか…

 仏教や仏像に興味を持ち始めたのは、大学時代、梅原猛氏の著書を読んでからです。西洋哲学は、人間と自然は対立するものと捉えてきたのに対して、東洋の思想は人間と自然は共存するものと捉え、特に仏教には「生けとし生けるもの、みな仏性あり」という考え方があり、仏教や東洋の思想をもっと見直さねばならないという梅原氏の見解に、大いに共鳴しました。この…
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石田三成の実像3040 オンライン三成会の初めてのリモート飲み会2 取次としての役目を忠実に果たし、大名の基盤強化…

 三成会の初めてのオンライン飲み会の話題「石田三成と伊達政宗は、仲が悪かったのか?」に関連して、伊達家の取次であった浅野長政と政宗の関係が悪化して、政宗が長政に絶縁状を突きつけたのに対して、三成と取次をした大名家との仲は悪くなく、取次の役目をきちんと果たしていたことにも触れられ、同意する意見が相次ぎました。  取次は単に秀吉の命令や指…
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奈良探訪 黒塚古墳・前方後円墳であることを歩いて実感・展示室に竪穴式石室と出土した三角縁神獣鏡などを展示・魏から卑…

 巻雲短歌会の共同代表の三嶋健男氏と打ち合わせをしに行った日に、初めて天理市柳本町にある黒塚古墳を訪ねました。実際に古墳を歩くことができるようになっており、前方後円墳であることを実感できました。平成9・10年の発掘調査で、竪穴式石室の存在が明らかになり、33面の三角縁神獣鏡が出土し、当時、新聞にも載りました。  なお、江戸時代は、柳本…
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石田三成の実像3039 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」54 浅野友輔氏「毛利輝元の戦い」5 通説通り三成襲…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、浅野友輔氏の「毛利輝元の戦い」の中で、秀吉の死の翌年、三成が奉行職を解かれ佐和山に隠退した件について、加藤清正・福島正則らが、三成の大坂屋敷を襲撃したという従来からの説が採られています。この件に関しては、襲撃事件ではなく、三成らへの訴訟騒動であったという見解が、水野伍貴氏や白峰氏によ…
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石田三成の実像3038 オンライン三成会の初めてのリモート飲み会1 飲まずに少し参加・「石田三成と伊達政宗は、仲が…

 先日、三成会の初めてのオンライン飲み会が土曜日の午後9時から11時頃まで行われました。私も参加しましたが、40分程だけでした。夜は結構忙しいので、食事の後、食器洗いをしなければならず(食洗機を使っていますが、入りきれないもの、手洗いしなければいけないものが、結構あります)、その後入浴とスケジュールが続き、その合間を縫っての参加となりま…
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奈良探訪 三十数年ぶりの石上神宮・山の辺の道の起点・山の辺の道は中学文芸部の時に来たのが最初・その時の習作短歌2首

 天理の石上神宮を訪ねるのは、三十数年ぶりのことでした。山の辺の道の起点、終点であり、山の辺の道の雰囲気が好きで、若い頃は何回か歩きました。道中にみかんなどが無人で販売されており、お金を置いて買って食べたものです。中学二年生の時、文芸部の活動の一環の「文学散歩」として、日曜日に顧問の植村武先生に連れて行ってもらったのが最初です。その時に…
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石田三成の実像3037 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」53 浅野友輔氏「毛利輝元の戦い」4 秀吉の死の直後…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、浅野友輔氏の「毛利輝元の戦い」の中で、秀吉の死の直後、家康と三成ら奉行衆の間に対立があったことが記されていることは前述しましたが、その対立がひとまず解消されたことを示すものとして、9月3日付で五大老と五奉行の間で交わされた誓約書が挙げられています。その内容について、次のように記され…
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石田三成の実像3036 大阪探訪58 大手前高校の「集中セミナー」の講座「大阪における関ヶ原の戦いと大坂の陣の関連…

 2006年に行なった大手前高校の「集中セミナー」の、「大阪における関ヶ原の戦いと大坂の陣の関連遺跡めぐり」ですが、大阪カテドラル聖マリア大聖堂を見た後、最後にその近くにある「越中井」まで生徒たちを案内しました。「越中井」は、秀吉時代、大坂の細川屋敷の台所にあったとされる井戸です。そのそばに建っている説明掲示板には、関ヶ原の戦いの二ヶ月…
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奈良探訪 天理大学図書館を少し見学・入口に展示されていたポルトガル船マードレ・デ・デウス号の大砲

 巻雲短歌会の共同代表の三嶋健男氏と、短歌誌の今号の収支決算と総括、次号の打ち合わせなどをするため、天理まで出かけました。その折、三嶋氏に車で、天理大学図書館、石上神宮、黒塚古墳を案内してもらいました。    天理大学は、三嶋氏が国文学の教授として勤めておられたところで、奈良もコロナの感染が広がっているものの、キャンパスの中には入る…
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石田三成の実像3035 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」52 浅野友輔氏「毛利輝元の戦い」3 秀吉没後の家康…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、浅野友輔氏の「毛利輝元の戦い」の中で、秀吉の死の直後、家康と三成ら奉行衆の間に対立があったことが記されていますが、その対立の根深さを克明に伝えるものとして、8月28日付の浅野長政以外の四奉行に宛てた輝元の誓約書状の他に、9月2日付の毛利家家臣の書状が挙げられ、次のように記されていま…
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京都探訪332 西本願寺で1年半ぶりに友人と会う・本願寺内部の対立は、信長の本願寺攻めの時から始まっていた

大学時代からの友人N君(40年前に一緒にフランス旅行をした友)と、1年半ぶりに会いました。彼は福山で寺の住職をしており、西本願寺ブックセンターで経典をまとめて購入するために京都まで出て来たので、西本願寺(写真)で待ち合わせをしました。一緒に昼食を取ったあと、東本願寺に立ち寄ってさらに渉成園を見学し、喫茶店でゆっくり話しました。京都…
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石田三成の実像3034 彦根でのイベント「三成の戦 九」「三成の戦 拾」9 「石田三成書状展」3 豊臣秀吉行状絵伝…

 彦根でのイベント「三成の戦 九」「三成の戦 拾」の際に、開かれていた「石田三成書状展」には、書状の他に、「豊臣秀吉行状絵伝一巻」も展示されていました。  江戸時代後期から明治初期に書かれたと思われるもので、文字通り、秀吉の一代記が描かれた絵巻物です。展示されていたのは、秀吉(日吉丸)が誕生する場面から、信長に見参する場面、桶狭間の戦…
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追悼 田中邦衛さん 「若大将」シリーズの「青大将」役・「北の国から」の五郎役 「北の国から」を国語の教材にしていた…

 田中邦衛さんと云えば、「若大将」シリーズの主人公・雄一(加山雄三さん)の仇役である「青大将」役が、自分にとっては、強烈な印象となって残っています。最初に見たのは中学2年の夏で、シリーズ5作目の「海の若大将」でした。ヒロインの澄子(星由里子さん)に思いを燃やす恋敵として、ことごとく「若大将」の邪魔をしますし、「青大将」が起こしたカンニン…
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石田三成の実像3033 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」51 浅野友輔氏「毛利輝元の戦い」2 四奉行に宛てた…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、浅野友輔氏の「毛利輝元の戦い」の中で、秀吉の死の直後、家康と三成ら五奉行の間に対立があったことが記されていますが、その対立の根深さを克明に伝えるものとして、8月28日付の浅野長政以外の四奉行に宛てた輝元の誓約書が挙げられています。この誓約書については、光成準治氏の先行研究があるとこ…
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羽生選手が共鳴した「天と地と」の謙信の生き方・私も25歳までぜんそくを患う・春日山城跡に二度登ろうとしたものの雨で…

フィギュアスケートの世界選手権大会で、羽生選手がフリーの演技で、ぜんそくの症状が出ていたことを自ら語っていました。緊張感もあったと思いますが、その中で大きく崩れることなく、銅メダルに輝いたのはさすがです。本人はさぞかし悔しかったでしょうが。  私は小学4年生の時に小児ぜんそくを発症し、高校生の時まで季節の変わり目ごとに発作が出て、その…
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石田三成の実像3032 彦根でのイベント「三成の戦 九」「三成の戦 拾」8 「石田三成書状展」2 天正19年6月2…

 彦根でのイベント「三成の戦 九」「三成の戦 拾」の際の「石田三成書状展」に展示されていた、二通の天正19年(1591)10月8日付の佐藤貞信宛三成書状と文禄5年(1595)7月12日付の佐藤貞信宛三成書状ですが、前者の書状が自筆書状であるのに対して、後者の書状は右筆が書いたものです。その大きな違いは、自筆書状は、ひらがなが多用している…
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石田三成の実像3031 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」50 浅野友輔氏「毛利輝元の戦い」1 「お飾り」では…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、浅野友輔氏の「毛利輝元の戦い」の中で、はじめに輝元「西軍の総大将」像が以前とは塗替わりつつあることが述べられています。  今までの輝元の評価が芳しくなかったが、それは「輝元が三成らによって祭り上げられた『お飾り』のような総大将だったから、というような見方が根強かったためである」、…
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大阪探訪58 四天王寺の阿弥陀堂で見つかった霊獣「白沢」 中国ドラマ探訪1 神話ファンタジー「運命の桃花」にも登場…

 浪人時代、運動不足解消のため、毎朝走っていた四天王寺の境内のコースに、阿弥陀堂の前の道も入っていました。その阿弥陀堂で、霊獣「白沢(はくたく)」と見られる彫刻が最近、見つかったという記事が新聞に載っていました。  「白沢」は病魔を退散させる力をもつ中国伝来の霊獣とされ、日本では人面獣身で九つの目がある姿に描かれるのが一般的であること…
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石田三成の実像3030 彦根でのイベント「三成の戦 九」「三成の戦 拾」7 「石田三成書状展」1 文禄5年7月12…

 彦根でのイベント「三成の戦 九」「三成の戦 拾」の際に、合わせて「石田三成書状展」が開かれていましたが、展示されていたのは、中井俊一郎氏が講演会で取り上げられていた、二通の天正19年(1591)10月8日付の佐藤貞信宛三成書状だけでなく、文禄5年(1595)7月12日付の佐藤貞信宛三成書状もありました。  その書状について、図録には…
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京都探訪331 2年ぶりの醍醐寺の桜・「豊太閤花見行列」は今年も中止・三成の兄の正澄に扮した人が行列に参加・秀吉の…

  3月31日、醍醐にある皮膚科に通院する前、醍醐寺に少し立ち寄りましたが、はや花が散りかけている桜の木もあり、全体的に満開の時期はやや過ぎているという印象を持ちました。人出はありましたが、それほど混んではいませんでした。二年ぶりに見た醍醐寺の桜です。家から歩いて30分程の距離にあります。  「豊太閤花見行列」は、昨年に続いて、今年も…
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石田三成の実像3029 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」49 本間宏氏「上杉景勝の戦い」27 景勝にとって、…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、上杉景勝にとって、慶長5年から6年にかけての戦いとは何だったのかについて、次のように記されています。  「徳川家康も、他の大老・奉行衆連合軍も、豊臣政権の秩序を守るという大義名分を標榜していた。つまり『関ヶ原』とは、豊臣政権内における徳川家康の…
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古典文学探訪156 下定雅弘氏の講演会「『長恨歌』ー楊貴妃の魅力と魔力、『恨』は誰の『恨』かー」「恨」とは楊貴妃を…

 「住吉高校同窓会報」に、北畠会館(同窓会会館 私が勤務していた当時はまだありませんでした) で開かれた下定雅弘氏の講演会「『長恨歌』ー楊貴妃の魅力と魔力、『恨』は誰の『恨』かー」の内容が掲載されていました。白居易の長編の漢詩「長恨歌」について論じているもので、この漢詩は漢文の授業で何回か取り上げたことがあるだけに、興味深く読みました。…
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石田三成の実像3028 彦根でのイベント「三成の戦 九」「三成の戦 拾」6 中井俊一郎氏の講演会「三成書状を読み解…

 中井俊一郎氏の講演会「三成書状を読み解くー奥羽の石田三成ー」の中で、三成が鷹狩りマニアであることを示す中納言宛三成書状の宛所である中納言が、秀次の可能性もあることにも触れられていましたが、そうだとすると、文中に出てくる「今度の道中同行した城州(山城守)」の「城州」が誰であるかは、まだ推定できず、蒲生家中にそういう人物かいないか検討中だ…
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西笑承兌が大光明寺を再興する際の「伏見大光明寺勧進帳」・承兌が明の国書を読み上げた時に秀吉が激怒したというのは創作…

 相国寺承天閣美術館で開催中の展覧会に、「伏見大光明寺勧進帳」が展示されています。僧・西笑承兌(せいしょうじょうたい)が大光明寺を再興するため、諸堂を建築する工費を寄進した武将たちの花押を集めたもので、徳川家康、毛利輝元、上杉景勝など122名の武将の名がずらりと並んでいます。秀吉は方丈を寄進しています。秀吉は大光明寺があった地付近に指月…
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