石田三成の実像3146 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」148 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」6 黒田長政の布陣場所

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、黒田長政が関ヶ原の戦いの布陣した場所については、通説に基づいて次のように記されています。
 「関ヶ原合戦当日の9月15日、長政は約4500の兵を率い、竹中重門とともに丸山狼煙場に着陣した。この場所は、西南に松尾山、東に南宮山、東南に養老山が位置し、しかも関ヶ原一帯が見下される絶好の地にあった。正面には西軍を率いる石田三成の陣営があったので、長政がいかに徳川家康から信頼を得ていたかわかる」と。
 長政・重門が丸山狼煙場に陣を置いたというのは、数々の関ヶ原本に掲載されていますし、2009年に発行したオンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の「美濃・関ヶ原」の章の「史跡めぐりモデルコース」の中でも、紹介しています。そのモデルコースは、「関ヶ原町歴史民俗資料館」を起点にしてレンタサイクルで回るというもので、「① 床几場・家康最後の陣跡」→「②丸山狼煙場、黒田長政・竹中重門陣跡」→「③関ヶ原決戦地の碑」→「④笹尾山・石田三成陣跡」→「⑤島津義弘陣跡」というふうに続き、最後に「⑳田中吉政陣跡」を見て、「関ヶ原町歴史民俗資料館」に戻ります。
 もっとも、この本を発行した後、白峰氏によって、関ヶ原の戦いの主戦場は関ヶ原ではなく、山中であり、関ヶ原の戦いの布陣図は歴史的根拠がないこと、小早川秀秋が家康に鉄砲を撃ちかけられて途中で裏切ったという話は後世の創作で、実際は秀秋は最初から裏切って家康方として戦ったことなどの新たな見解が示され、2016年に発行した「決定版 三成伝説」(サンライズ出版)では、モデルコースはそのまま残したものの、白峰氏の見解を「美濃・関ヶ原」の章の本文の最後に少し付け加えました。現在ある関ヶ原の各武将の陣跡については、高橋陽介氏によって、次のような指摘がされています。
 「現在の関ヶ原合戦の陣地跡は、神谷道一氏の明治25(1892)年に著した『関原合戦図志』を参考に岐阜県の役人たちが参加し、現地事情を様々に考慮しながら決めたのだそうです」と。
 要するに、関ヶ原の陣跡に歴史的根拠はないことになります。高橋氏は三成が「笹尾山に陣地を構築した形跡は無く、また、笹尾山に三成の本陣があったという説は一次史料では確認できません」とも指摘されており、その指摘に白峰氏も首肯されています。笹尾山からは、戦いがあったことを裏付ける出土品が何も出ていないという事実もあります。
 黒田長政が三成の陣を攻めたのは確かですが、丸山狼煙場に陣を置いたということは再検討する必要があります。
 
 
 

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