大阪府立茨田高校の元同僚との京都散策3 六波羅蜜寺・宝物館の空也上人像、平清正像、運慶像、湛慶像、井伊直政像

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 茨田高校の元同僚たちと六波羅蜜寺まで足を延ばしましたが、夕食まで時間があったことと、有名な空也上人像を見たかったのと、元同僚のAさんが六波羅蜜寺の隣の六原小学校の出身で、六波羅蜜寺の境内を小さい頃遊び場にしていた懐かしい場所であったことなどもあって、拝観しに行きました。Aさんは境内や周囲の様子は当時とは随分違っていると言います。六波羅蜜寺を創建したのが空也上人で、醍醐天皇の皇子でした。平家全盛の頃は、六波羅付近が本拠地であり、平家の邸宅が建ち並んでいました。
img222.jpg 六波羅蜜寺の宝物館に入るのは、20年ぶりぐらいのことでしょうか。空也上人立像(運慶の四男康勝の作)は、念仏を唱えている口から六体の小さな阿弥陀仏が出ている姿がなんといってもインパクトがあります。平清盛座像も、教科書などによく取り上げられていますが、出家した姿です。大河ドラマ「平清盛」は、評判が高くありませんでしたが、武士を「王家の番犬」という古い捉え方がされているのが一番の問題でした。平安時代の早い時期から「軍事貴族」というものが次第に成立していったという見方が今では広く認められています。平清盛はその頂点を極めたわけです。また特にドラマの後半は、「平家物語」に基づいた清盛の悪いイメージで捉えられていたきらいがあります。「平家物語」は史実ではなく多分に脚色されています。
 運慶座像、湛慶座像(湛慶は運慶の長男)も目を引き、重厚な存在感がありました。六波羅蜜寺の十輪院は、運慶の一族の菩提寺であり、運慶像・湛慶像は十輪院の本尊の脇侍のように祀られていたと、六波羅蜜寺のパンフレットに記されています。本尊の地蔵菩薩座像は運慶が造ったもので、宝物館に安置されていました。
 井伊直政座像もありましたが、直政が六波羅蜜寺の住職に帰依していたことによるもので、井伊家は代々六波羅蜜寺に寄進しています。

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