石田三成の実像3163  白峰旬氏の「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」4「7月29日付大関資…

 白峰旬氏の「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」(『史学論叢』第51号所載)で、まず「7月29日付大関資増宛浅野幸長書状」が取り上げられ、その内容解釈を、拙ブログで紹介していますが、その続きです。  「結城辺迄罷越候」、追而書の「尚々去廿三日之御状畏入候、其刻小山へ罷越、御返事不申入候」という記述について次のように…
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京都探訪339 東福寺3 光明院の主庭「波心亭」も重森三玲の作庭・2階からの眺めも格別

  19日、東福寺の南にある、塔頭の光明院も拝観しました。光明院が創建されたのは室町時代初期です。山門を入ったところにある、前庭の木も紅葉していました。奥に「摩利支尊天」が祀られています。   光明院の主庭「波心亭」を作ったのは、東福寺の方丈庭園と同じく重森三玲です。規模の大きな枯山水庭園で、大海を表す白砂に、立石が立ち並んでいますが…
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石田三成の実像3162「関ヶ原大乱、本当の勝者」159 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」17 秀…

 白峰氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、関ヶ原の戦い後の小早川秀秋について、次のように記されています。  「宇喜多秀家に代わり、備前・美作に57万石を与えられ、岡山城(岡山市北区)に入った。破格の扱いである。秀詮(ひであき)と名を変えた秀秋は、寺領の寄進や安堵、…
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京都探訪338 東福寺2 重森三玲によって作庭された、方丈庭園の趣向の違う四つの庭 

 東福寺の方丈の庭園は東西南北に庭があり、それぞれに違うふうに作られて、その趣向の違いを楽しめます。いずれも重森三玲によって作庭されました。東福寺へはたびたび来ていますが、方丈庭園を見るのは約30年ぶりでした。  一番広い南庭は、巨石の列によって仙人が住む四つの「仙島」を、渦巻いた砂紋によって「八海」を、築山によって「五山」を表し…
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石田三成の実像3161  白峰旬氏の「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」3「7月29日付大関資…

 白峰旬氏の「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」(『史学論叢』第51号所載)で、まず「7月29日付大関資増宛浅野幸長書状」が取り上げられ、その内容解釈を、拙ブログで紹介していますが、その続きです。  「我等儀、此間宇都宮二在之候へ共」という部分について、「『我等』とは『私』=浅野幸長であるので、浅野幸長は『此間』(…
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京都探訪337 東福寺1 臥雲橋と方丈の通天台からの通天橋の紅葉 番組「よ~いドン」で紹介されていた、東福寺の番頭…

 18日に夫婦で東福寺へ行き、方丈庭園と塔頭の光明院を拝観しました。紅葉の名所である通天橋は、密を避けて中には入りませんでしたが、通天橋の紅葉の様子は、行く途中の臥雲橋からと、方丈にある通天台から眺めることができ、その様子がわずかながらしのべました。臥雲橋からは通天橋がやや遠くに見える(1~3枚目の写真)のに比べて、方丈の通天台からは通…
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石田三成の実像3160「関ヶ原大乱、本当の勝者」158 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」16 井…

 白峰氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、関ヶ原の戦いの際、井伊直政と松平忠吉が抜け駆けして、先陣を切ったとされる従来からの説に対して、否定的見解が述べられています。  すなわち、「家康が直政に戦闘の指揮を任せたことから、当日は正則が直政の指示に従い、直政・忠吉に…
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日本文学探訪132 若山牧水の歌2「白鳥は」の解釈をめぐって2 同調を求める日本社会の象徴 啄木の歌との共通性・牧…

 若山牧水の歌「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」ですが、他のすべてのものが青色だということが、個性を排除して同調を求める日本社会の象徴のような気がしています。自分だけそれができない悲しみを歌っているように思えてなりません。これと同じような歌を石川啄木が詠んでいます。    人がみな   同じ方角に向いてゆく …
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石田三成の実像3159  白峰旬氏の「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」3「7月29日付大関資…

 白峰旬氏の「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」(『史学論叢』第51号所載)で、まず「7月29日付大関資増宛浅野幸長書状」が取り上げられ、その最初の部分についての内容解釈を、拙ブログで紹介しましたが、その続きです。白峰氏の同論考では、最初の部分について、藤井讓治氏の解釈も紹介され、その違いについても述べられていますが…
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日本文学探訪131 若山牧水の歌1「白鳥は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ」の解釈をめぐって1・白鳥=…

 朝日新聞の「天声人語」に、若山牧水の歌が四首紹介されていました。いずれも年上の人妻である小枝子さんに恋をしていたときに詠まれたもので、牧水の評伝を書いた俵万智さんの解釈に基づいて記事が書かれていましたが、次の歌の解釈に疑問を感じました。    白鳥(しらとり)は哀しからずや空の青海のあをにも染まずただよふ    歌意は「白い鳥…
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石田三成の実像3158  白峰旬氏の「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」2 論争の現状 「7月…

白峰旬氏の「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」(『史学論叢』第51号所載)の「はじめ」で、「小山評定」論争のこれまでの経緯が簡略にまとめられています。すなわち「小山評定」肯定論の立場の本多隆成氏と、否定論の立場の白峰氏との間で論争が行われてきたこと、近年になって水野伍貴氏と藤井讓治氏がそれぞれの論文で肯定論を主張さ…
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石田三成の実像3157 白峰旬氏「慶長5年8月22日の米野の戦い、同月23日の瑞龍寺山砦攻めについての一柳家の首帳…

 白峰旬氏「慶長5年8月22日の米野の戦い、同月23日の瑞龍寺山砦攻めについての一柳家の首帳に関する考察」の一柳家の首帳に関する考察」(『別府大学大学院紀要』第23号所載)の中で、米野の戦いは「米野・新加納の戦いと改称した方がよいのかもしれない」と指摘されています。それは、一柳直盛は米野で戦ったものの、池田輝政は新加納で戦ったからです。…
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旅行記283 海外への初めての家族旅行(1996年) マカオ・香港4 3日目は黄大仙祠参拝・午後はショッピング中心…

 1996年3月、香港で二泊したホテルは「パンダホテル」という名で、ロビーにはレゴで作られたパンダが展示されていました。旅行3日目はバイキング形式の朝食を取り、9時にホテルを出発しましたが、車の渋滞に巻き込まれて、黄大仙祠にたどり着くまで1時半以上かかりました。黄大仙祠は道教、仏教、儒教が融合した寺院で、お参りする人で大いに賑わっていま…
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石田三成の実像3156「関ヶ原大乱、本当の勝者」156 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」14 白…

白峰氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、8月23日の岐阜城攻防戦についてまず次のように記されています。  「8月23日早朝、東軍は西の河渡(岐阜市)に田中吉政、藤堂高虎、黒田長政らを、東の各務郡新加納村、長塚村、古市場村(以上、岐阜県各務原市)に山内一豊、有馬豊氏…
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京都探訪336 時代祭の衣装展示・朝廷寄りの行列 

時代祭を初めて見たのは学生時代で、まだ大阪から京都に通学していた時期でした。平安時代から明治維新までの歴史的人物をはじめさまざまな人物に扮した人々の長い行列が続き、その変化に富んだ華やかな衣装や風俗の面白さに目を奪われ、最初から最後までずっと見続けていました。何年か前にも、行列を最後まで見ましたが、全部見たのは、学生時代以来のことかもし…
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石田三成の実像3155 白峰旬氏「慶長5年8月22日の米野の戦い、同月23日の瑞龍寺山砦攻めについての一柳家の首帳…

 白峰旬氏の「慶長5年8月22日の米野の戦い、同月23日の瑞龍寺山砦攻めについての一柳家の首帳に関する考察」(『別府大学大学院紀要』第23号所載)の中で、8月22日に出陣した織田秀信方の軍勢数について次のように記されています。  「『8月22日付本多正信・西尾吉次・村越直吉宛井伊直政書状』によれば、2000ばかりというのが実数に近いと…
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旅行記282 海外への初めての家族旅行(1996年) マカオ・香港3 2日目の午後に香港のオウ・ブンホウ・ガーデン…

 1996年のマカオ・香港旅行ですが、2日目の午後、マカオから香港に戻り、オウ・ブンホウ・ガーデン、レパルスベイを観光し、ジャッキー・チェンの店に連れて行かれました。  オウ・ブンホウ・ガーデンは「タイガーバーム」の軟膏をはじめとした医薬品で財をなしたオウ・ブンホウの別荘で、庭園に色鮮やかなさまざまな彫像が置かれており、目を引きました…
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石田三成の実像3154 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」154 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、関ヶ原の戦いの3週間間程前に行われた岐阜城攻防戦について具体的に述べられていますが、その続きです。  「秀信の作戦は岐阜城を拠点とし、味方からの援軍の到着を待って、東軍を挟み撃ちにするものであったという。秀信の家臣の一部…
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京都探訪335 時代祭の日に平安神宮神苑の無料公開 京都御所から移築された泰平閣・尚美館

10月22日は時代祭の日でしたが、二年続けて中止になったものの、平安神宮の神苑が無料公開され、合わせて時代祭の衣装も一部展示されていたので、妻と見に行きました。神苑は人々で賑わっていましたが、それほど混んではいず、ゆっくりと見て回ることができました。あいにく花は咲いていませんでしたが、庭園や池の景色は楽しめましたし、なんといっても栖鳳池…
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石田三成の実像3153 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」153 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、岐阜城攻防戦の直前、岐阜城の周辺で緊張が高まったことを具体的に示すものとして、岐阜城主の織田秀信が出した禁制が挙げられ、次のように記されています。  「慶長5年8月、秀信は①濫妨狼藉、②陣取放火、③竹木伐採の禁止および諸…
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旅行記281 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣14 「奥の細道むすびの地」 最後の句「蛤のふたみにわかれ行秋…

「奥の細道」の旅は大垣で終わりますが、芭蕉はこの後、伊勢神宮へ向かいます。水門川の船町港から乗船しますが、大垣の商人で芭蕉と親交を結んでいた谷木因が同船して、伊勢の長島大智院まで見送りました。現在、船町港があったところには、芭蕉と木因の銅像が建っています。大垣市はここを「奥の細道むすびの地」と名付け、そばに「記念館」も建っています。いろ…
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石田三成の実像3152 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」152 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、関ヶ原の戦いの前に行われた岐阜城攻防戦について具体的に述べられていますが、それまでの家康方軍勢の動きについてまず次のように記されています。  「8月21日、東軍は部隊は二つに分けて岐阜城へ向かった。池田輝政が率いる1万80…
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旅行記280 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣13 芭蕉句碑「荒海や佐渡によこたふ天河 」「一家に遊女も寝た…

10月10日の大垣の水門川めぐりですが、武者溜橋と花月橋の間には、「荒海や佐渡によこたふ天河(あまのがは) 」の句碑が建っています。雄大で荒々しい自然が詠まれていますが、佐渡島が罪人が流された島であることを念頭に置く必要があります。人の悲しさ、ちっぽけさと自然の大きさが対比されているわけです。これは実景ではなく、句が詠まれた越後の出…
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石田三成の実像3151 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」151 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、関ヶ原大乱における正則の活躍について、具体的に述べられていますが、まず次のように記されています。  「慶長5年(1600)7月、いわゆる小山評定を終えた東軍の面々は、福島正則と池田輝政を先鋒として、東海道を西進し清須(愛…
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旅行記279 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣12 芭蕉句碑「閑さや岩にしみ入蝉の声」「さみたれをあつめて早…

  大垣の水門川の新大橋と東外側橋の間に「閑(しづか)さや岩にしみ入(いる)蝉の声」という芭蕉の句碑が建っています。大垣駅から大通りを南に歩くと、最初に出会う句碑です。句碑のそばに説明掲示板があり、この句が詠まれた立石寺や山形市のことが紹介されています。  この句の初案が、「山寺や石にしみつく蝉の声」であったことが、旅に同行した曾良の…
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石田三成の実像3150 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」150 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、文禄・慶長の役以降、関ヶ原の戦いまでの福島正則について次のように記されています。  「文禄・慶長の役では朝鮮に渡海した。その際、石田三成と確執が生じ、険悪な関係になったという。  文禄4年(1595)、尾張清須に24万…
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受贈御礼  白峰旬氏「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」1 改めて小山評定否定説を展開 (石田…

  別府大学教授の 白峰旬氏より、最近のご論考を多数お贈りいただきました。この場を借りてお礼申し上げます。  そのうち、「『小山評定』論争の最前線ー家康宇都宮在陣説を中心にー」(『史学論叢』第51号所載)では、「小山評定」否定説を改めて主張されています。「小山評定」とは、通説では慶長5年(1600)、家康が上杉攻めに向かった時、上方で…
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旅行記278  7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣11 京アニ「聲の形」の舞台となった水門川の美登鯉橋付近・「…

 大垣の水門川に沿って散策するのは趣きがあって気に入っており、今まで何度が歩いています。川の景色、それぞれ色形が違う橋、数々の芭蕉の句碑などがあって、目を楽しませてくれます。  京アニ制作のアニメ映画「聲の形」を見たのは最近ですが、大垣が主な舞台となっており、中でも、水門川にかかる美登鯉(みどり)橋や「四季の広場」、滝のトンネル付近な…
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石田三成の実像3148 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」149 渡邊大門氏「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の…

 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の、渡邊大門氏の「小早川秀秋、黒田長政、福島正則の戦い」の中で、黒田長政の関ヶ原の戦いの活躍ぶりについて、まず次のように概略されています。  「合戦開始と同時に、長政の部隊は三成の軍勢と戦い、勝利を収めた。なかでも家臣の菅六之助は、島清興(左近)を討ち取る軍功を挙げた」と。黒田の家臣…
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旅行記277 石田三成の実像3147 7ヶ月ぶりの旅行 佐和山・関ヶ原・大垣10 杭瀬川の戦い・レトロな美濃赤坂駅…

 10月10日、案楽寺から美濃赤坂駅の方に戻り、今度は東の方にある杭瀬川のところに行きました。関ヶ原の戦いの前日、杭瀬川で戦いが行われ、三成の重臣の嶋左近などの活躍によって、家康方軍勢を打ち破ったとされています。高橋陽介氏は一次史料に杭瀬川の戦いについての記述がないことからこの戦いがあったことに対して否定的見解を示されていますが、白峰旬…
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