大阪探訪42 備前島があったあたりを散策1 宇喜多秀家、石田三成の屋敷があった地・旧藤田邸跡・親友が結婚式を挙行した太閤園

 京阪電車で京橋へ出て、高架下を西に向かって歩き、太閤園、藤田邸跡公園、旧大阪市公館を経て、大川沿いを歩き川崎橋あたりまで行ってきました。このあたりには、かつて大川の中州であった備前島がありました(現 都島区網島町)。秀吉の時代には、備前島には、宇喜多秀家や石田三成の屋敷がありましたが、地形も変わっており、中州もなくなり、具体的にどこに誰の屋敷があったのかは全くわかっていません。発掘調査をすれば、手がかりが得られるかもしれないのですが。
 太閤園、藤田邸跡公園、藤田美術館(改修工事中)、旧大阪市公館は、かつて藤田伝三郎の邸宅があったところでもあります。伝三郎は大阪商法会議所(商工会議所)の二代目会頭を務めましたが、初代は五代友厚です。
DSCN9886.JPGDSCN9890.JPGDSCN9891.JPG 小学校からの親友のF君が太閤園で結婚式を挙げたのは、1981年5月のことでした。当時、F君は東京のコンピューター会社に勤め、奥さんも関東の人でしたが、式は大阪で挙げました。旧家の跡継ぎなので、当然のことと云えますが。当時の日記を見ると、次のようなことを記しています。
 「来賓などのスピーチも一方では格調高いものがあり、一方ではユーモアたっぷりのものもあり、バラエティーに富んでおり、披露宴を盛り上げた。本人もなかなか落ち着いて余裕を見せており、清楚な新婦と好一対だった。両親への花束贈呈の時には、新郎もお母さんもおばさんも涙を見せていた」などと。
 お父さんはその5年前に亡くなられ、葬儀の受付などの手伝いをしました。おばさんはF君の家に同居して、小学生の時から彼の家に遊びに行くたび、可愛がってもらいました。お母さんもおばさんもすでに故人になられ、時代の変遷というものを痛感します。
 結婚式の二次会は、新郎新婦と友達たちだけで本町の「美々卯」でうどんすきを食べながら、歓談しました。
 東京の新居を訪ねたのは、それから3年後のことで、奥さんの手料理をご馳走になり、一晩泊めてもらいました。私が結婚したのは、その翌年のことです。
 F君は今は旧家を継ぎ、奥さんと共に大阪で暮らしていますが、コロナ禍の影響で、1年近く会っていません。
 
 

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