大阪府立住吉高校国際教養科設置をめぐって(1989年)3 初年度の国際教養科案内パンフレット 未定の部分の多さ

 森友文書改竄問題でもそうですが、省庁では、おかしなこともおかしいと云えない空気があるのではないかと思ってしまいます。
 大阪府立住吉高校に国際教養科が設置がされることを校長が突然発表した時(前述したように、府教委出身の校長は赴任する時から、設置することを府教委から言い含められていたようですが、そういうことを教職員には全く明かしませんでした)には、現場の教職員から一斉に反発の声が挙がりましたが、そういう一方的で理不尽なことを許さない反骨精神のようなものが当時の職場にはありました。
 img044.jpgimg042.jpgimg043.jpgimg041.jpg 写真は中学校など外部に配布するために作った初年度の「国際教養科案内」ですが、「国際教養科」自体、まだ「仮称」でしたし、学級定員も(近日中に公表)とあって、まだ決まっていませんでした。教育課程も「実施計画(予定)」とあって、本決まりではありませんでした。特に「専門科目」は、それぞれ全く新しい科目であるだけに、中身をじっくり詰めてゆく必要があり、半年程の準備期間ではとても足りませんでしたし、実際、議論を重ねる中で内容や時間数などはいろいろと変更しています。
 設置の延期を陳情する一方で、校内に国際教養科設置準備委員会を作り、そこで具体的なことを話し合ってゆきました。そのため、相当忙しくなりましたし、かなりの労力を使いましたが、国際教養科と英語特進科とは違うとはいえ、特に英語科に負担が大きくかかりました。もっとも、国際教養科は文系にも理系にも対応した専門学科でしたから、そのためのカリキュラムをよく吟味して作らねばならず、各教科が関わり協力する必要がありました。前向きに捉えれば、こういう産みの苦しみがあったからこそ、それが後の国際科学高校に発展できたのでしょうが。

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