音楽探訪48 2005年に放送された中島みゆきさんのトーク2 紅白出場を決めた理由・黒部ダムで歌う大変さ・歌詞を間…

 2005年にNHKーFMで放送された、中島みゆきさんをゲストに迎えた「サウンド・ミュージック」ですが、2002年に紅白歌合戦に初出場した時のことも語られていました。NHKから出演依頼を受けた時、それを受諾したことについて、「地上の星」が大ヒットしたのは、「プロジェクトX」の番組のおかげだと思ったからですが、中島さんが一つ注文を付けたの…
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石田三成の実像2957 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」24 本間宏氏「上杉景勝の戦い」4 直江状をめぐって

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長5年の会津攻めのきっかけとなったとされる.、いわゆる「直江状」の存在について、肯定的な見解が示され、次のように記されています。  「相国寺の日記『鹿苑日録』をみる限り、西笑承兌と直江兼続との間で書状が交換されていたのは確実である。また、『直江状…
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音楽探訪47 2005年に放送された中島みゆきさんのトーク・他の歌手への曲提供・槇原敬之さんの「ファイト」・「地上…

 2005年にNHKーFMで放送された、中島みゆきさんをゲストに迎えた「サウンド・ミュージック」の録音を聴き直しましたが、いろいろな歌手に提供した曲と、自分が歌う曲の違いについて問われた時、歌うのが難しい曲は他の歌手に歌ってもらい、やさしいものを自分で歌うと答えていました。むろん、これは半分冗談だと思いますが、桜田淳子さんに曲を提供した…
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石田三成の実像2956 白峰旬氏「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」1 反家…

 白峰旬氏よりご恵贈賜りましたご論考「『(慶長5年)8月21日付山村良勝・千村良重宛大久保長安書状』について」(2020年発行『別府大学紀要』第61号所載)の中で、この書状の原文、現代語訳が紹介され、その内容が検討されています。  まず「上方(=豊臣公儀方)の石田三成・大谷吉継・石川光吉(尾張国犬山城主)の書状を(山村良勝・千村良重の…
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大阪探訪46 備前島があったあたりを散策5 大坂冬の陣では徳川方が大砲を放つ・リニューアル工事中の藤田美術館・「曜…

備前島は、大坂冬の陣の際、徳川方が大砲を据えて、大坂城に砲撃を加えたところです。砲撃は四日間にわたって行われ、そのうちの一発が城の一部を破壊し、淀殿の侍女七、八人が亡くなりました。豊臣側はこれに恐れをなして、和平に応じました。豊臣政権を支えた宇喜多秀家や石田三成の屋敷があった備前島(大坂城の北の守りを固めていました)から、徳川方が豊臣家…
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大阪探訪45 備前島があったあたりを散策4 大阪市立桜宮小学校の「創立80周年記念誌」に400年前の備前島の地図・…

 大阪市立桜宮小学校が昭和61年に発行した「創立80周年記念誌 わたしたちの町 桜宮」の中に、今から約400年前の都島区の地図が掲載されていますが、三角形のような形をした備前島が載っています。すぐ北に野田村があり、備前島に行くには、南から京橋、備前島橋を渡って行くか、東側から野田橋を渡るか、西側から川崎の渡しを舟で渡る方法があったようで…
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石田三成の実像2955 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」4 …

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、拙ブログで前述した四つの疑問点を挙げた上で、「福島氏系譜」所収の慶長5年7月19日付の「福島正則宛家康書状」について、次のような解釈が可能だとされています。  「7月19日、徳川家康は上方…
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石田三成の実像2954 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門が、大坂夏の陣の、慶長20年5月6日に行われた八尾・若江の戦いに、徳川方として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述についてまず次のように解説されています。  「本城惣右衛門は、藤堂高清(『…
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大阪探訪44 備前島があったあたりを散策3  今はレストランと結婚式場になっている旧大阪市公館 付記・大阪都構想雑感

 藤田邸の西邸だった旧大阪市公館は、最初は迎賓館、大阪市長公館として建てられましたが、橋下市長の時代に、民間に貸与され、今はレストランと結婚式場になっています。チャペルの中ものぞいてきました。ちょうど、若いカップルが下見に来ていました。コロナ禍で結婚式も挙げるのが大変な状況になっていますが、めげずに新たな門出を飾ってほしいものだと感じま…
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石田三成の実像2953 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」4 …

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、白峰氏と本多氏の小山評定に関する議論について、高橋氏は疑問点を4点挙げられていますが、その3点目として「福島正則はどこで家康書状を受け取ったのか」という点が挙げられています。  白峰氏は「…
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大阪探訪43 備前島があったあたりを散策2 宇喜多秀家の屋敷があったことにちなんでいると思われる備前島・旧藤田邸跡…

大阪市都島区網島町あたりに、かつてあった備前島の名前の由来は、秀吉の時代に宇喜多秀家の屋敷があったことにちなんでいるものと思われます。宇喜多秀家は備前宰相と呼ばれていました。秀家は京都にも屋敷を持っていましたが、そのあたりは現在、備前町という名前になっています。   網島町にある旧藤田邸跡公園のあたりもかつては備前島の一部だったと考え…
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石田三成の実像2952 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」3 …

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、小山評定の有無をめぐっての本多氏と白峰旬氏との議論について、主要な論点は二つにしぼられていると記されています。  一つ目の論点は、拙ブログで前述しましたが、もう一つの論点は、小山評定があっ…
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大阪探訪42 備前島があったあたりを散策1 宇喜多秀家、石田三成の屋敷があった地・旧藤田邸跡・親友が結婚式を挙行し…

 京阪電車で京橋へ出て、高架下を西に向かって歩き、太閤園、藤田邸跡公園、旧大阪市公館を経て、大川沿いを歩き川崎橋あたりまで行ってきました。このあたりには、かつて大川の中州であった備前島がありました(現 都島区網島町)。秀吉の時代には、備前島には、宇喜多秀家や石田三成の屋敷がありましたが、地形も変わっており、中州もなくなり、具体的にどこに…
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石田三成の実像2951 白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」23 本間宏氏「上杉景勝の戦い」3 神指城築城は数年…

白峰旬氏編著「関ヶ原大乱、本当の勝者」(朝日新書)の本間宏氏の「上杉景勝の戦い」の中で、慶長5年2月に、上杉景勝が若松城(鶴ヶ城 )の北西に、面積が約二倍になる、新たな居城の神指(こうざし)城を構築し始めたことに関して、次のように記されています。  「発掘調査の結果、堀の掘削はきわめて不十分で、必然的に土塁も未完成とみなされることや…
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奈良探訪 奈良時代の元興寺は今の十倍以上の規模・伽藍は一直線に配置・境内の「浮図田」

奈良町にある元興寺を、昼食後訪ねました。拝観するのは二十数年ぶりのことで、世界遺産になってから初めてのことです。元興寺の前身は、飛鳥にあった法興寺(飛鳥寺)で、平城京遷都の時に、この地に移ってきて、名前も元興寺となりました。もっとも、当時の寺の敷地は、今の十倍以上ありましたが、現在、大半がほとんど奈良町の町並みに変わっています。   …
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石田三成の実像2950 白峰旬氏「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのか…

 白峰旬氏の「『戦功覚書』としての『本城惣右衛門覚書』(その1)ー本城惣右衛門は下級武士なのかー」(別府大学大学院紀要)の中で、本城惣右衛門は、天正9年の明智光秀方による山家城攻めに、明智方の一員として戦ったことが記されていますが、この戦いの記述について次のように解説されています。  「丹波国天田郡(何鹿【いかるが】郡ヵ)の山家【やま…
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奈良探訪 大正時代に美術商が建築した奈良町にぎわいの家・昼食は「ならやま茶館」の薬膳料理

 奈良町にぎわいの家は、大正時代に美術商が建築した町家で、京町家と同じく、一階はかなり奥行きがありました。いろいろなところにこだわりがあり、それぞれ凝っていて、仏間も広く、天井に絵も描かれている豪華な作りでした。  加藤史江さんの作品は床の間や渡り廊下にも展示されていて、町屋の雰囲気に見事に調和していました。伝統的な物と斬新な物とが融…
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石田三成の実像2949 図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」44 慶長3年1月21日付の蜂須…

 徳島市立徳島城博物館発行の図録「特別展『唐入り』の時代ー秀吉の大陸出兵と大名たちー」の「第2部 諸大名の『唐入り』」の中で、蜂須賀氏に関係したものとして、慶長3年(1598)1月21日付の蜂須賀家政宛徳川秀忠書状が掲載されており、次のように解説されています。  「蔚山城の戦いの終結後、徳川秀忠から家政に送られた書状。救援軍として合戦…
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奈良町にぎわいの家での、加藤史江さんの個展「たゆとう記憶」・大阪府立住吉高校の自由な校風・初めて3年間担任した38…

10月に奈良町にぎわいの家で開かれていた、加藤史江さんの個展「たゆとう記憶」を見に行きました。大阪府立住吉高校の38期生ですが、最近、巻雲短歌会に再入会され、個展の案内をいただきました。現代アートの世界で活躍し、各地で個展を開かれています。二階の二間を使い、手前の部屋には川が流れているように見えていますが、よく見ると小さな舟の造形物が…
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石田三成の実像2948 高橋陽介氏「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」2 …

 高橋陽介氏の「本多隆成氏の『「小山評定」再々論 家康の宇都宮在陣説を中心に』を拝読して」(織豊期研究会発行「織豊期研究 第22号」に掲載)の中で、小山評定の有無をめぐっての本多氏と白峰旬氏との議論について、主要な論点は二つにしぼられていると記されています。  一つ目の論点は、福島正則が7月19日に西上したとする白峰氏の説に関する議論…
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